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多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。復草木咸によく言語有り。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!

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[6458] 福岡県◯藩  生田淳一郎 2012/04/17(Tue) 16:32 [Reply]
多美さん、この認識は多美さん個人の見解によるものなんでしょうか? それとも同じことを理路整然と主張する誰かさんが別にいらっしゃるのでしょうか。
 いずれにしても一億二千万人いる日本の中にこのような見解の主が一人でもいらっしゃることは、とが(科)(・・・・・後述の鼻削ぎ事件に関与)を持つ身にとっては、まさに地獄でホトケ、ホッとできる一瞬があります。
 しかし、この「幕末は既に時効」との主張は、国際社会の常識ではどうかと思うんですよ。日本人はじつに悪いことを周辺外民族にやらかしているんです。特に隣国の朝鮮とのあいだには。
 多美さんは「耳寺、「鼻寺と呼ばれている京都の寺のことをご存じでしょうか。
 秀吉は日本朝鮮に向けて日本国挙げての倭冦を二度やりましたが、事件はその第二次出兵とき、「秀吉が喜ぶだろうから」という理由でどこかの藩兵がやらかしたのです。
 鼻塚ではひとぎきがわるいので、その後耳塚に改めたらしいのですが、日本人たちは朝鮮人とみたら赤ん坊の鼻まで削ギ落として行ったそうです。
 ここまでものエゲツないことをやれるニンゲンは咸臨丸の最後をメチャクチャにした連中と同一野郎たちだと思うのです。
 小生が「福岡県の◯藩だ」と書いたところ多美さんは「それを腹蔵なく表明せよ」とおっしゃるが、事態はカンタンには行きませんよ。それを書くことはいともカンタンですが、それをやったら、それこそ石つぶてが飛んで来るので、その末裔たちは街を歩けなくなりましょう。ここは武士のなさけが有効のようです。 
 どうして小生の福岡県◯藩が知りたいなら石母沢寛の『勝海舟』全六巻の 五〜六巻を読んでみてください

[6457] 無題  生田淳一郎 2012/04/15(Sun) 18:56 [Reply]
 わがパソコンが脳震盪を起こしたことと、眼がわ〜るくなったことで、文字配列に支障を来たし皆しゃんには多大な迷惑をおかけしています。スンマッシェン。

[6456] Re[6453][6452][6451][6450]: 観音マスク・ミロク・マスク     生田淳一郎 2012/04/14(Sat) 16:15 [Reply]
> 多美さんん


>興味を持つと、多いな石を投げ込む癖があります。
● 小石がないときには、気の早い江戸っ子は屋根に登って瓦を剥いで瓦をぶっつけました。
 工夫好きなヤツは腰ひもを二つ三つ繋いで下駄に結びつけて投げました。こうすると投げた度に下駄を失わずに済み、カミさんから叱られないで済むわけです。

 幕末、ええじゃないか踊りが流行ったときにはひと抱えもありそうな鉱石を分限者の門の中にドッシーーンと投げこんで「あなたの庭には金塊が降りました」と紙ぎれに書いて知らせるのです。すると投げ込まれた家では身代を尽くして近辺の衆に酒をふるまわねばなりません。
 そういうあてずっぽうな「集合自我」みたいなところへ凭れかかって生きて来られた日本民族はじつに幸運だったと思います。
 ひとを信じることができる基盤が用意されているのです。成文法みたいな契約々々の社会ではなく、自然法、人情がそのまま通用

>
> 小生、顔色を窺う癖があります、
>
> それも、意図的に、小石をぶつける癖があります、
>
> さらに、興味を持つと、多いな石を投げ込む癖があります。
>
>
> > 福岡県の o藩だと当たりをつけています。あの咸臨丸の最後をメチャクチャにしたエゲツねぇサムライたちです。あすこんニキ(九州弁 ; 場所)にはアクのつよいのがいっぱいいるんです。
>
>  お願いがあります、幕末は既に時効と思われますので、
>
>  ○藩、ではなく、はっきり指摘して頂きたいと思います、
>
>  福岡県の大藩、黒田・小倉・久留米???

[6455] 江戸の街の石つぶて     生田淳一郎 2012/04/14(Sat) 10:10 [Reply]
カネ貸しや質屋のオヤジに、いったん「あいつは因業ヂヂィだ」といううわさがたつと、ヂヂィたちは安心して街を歩けなかったそうですね。いつどこから石つぶてが飛んでくるか分かったもんじゃないからだそうです。
 そこで駕篭に乗る。駕篭に石つぶてを飛ばしたヤツは、こんどは篭屋から狙われるってぇ仕組みです。
 むかしの人は栄養価の低いたべものを食していたので 43〜45才ごろから老後のことを考えて身体を使わなくっても楽して稼げるカネ貸しや質屋業を選んだのでしょう。そのぶんだけ、駕篭屋が増えるという仕組みで・・・・・・。
 いっぽう、目に一文字もない文盲でも身体さえシッカリしていたら、江戸ではSの日から食ってゆけた。駕篭かきをやればいいんです。

 それにしても、小生が分らないのは、なぜサムライたちのあいだで覆面が葉経ったかということです。
 天下堂々として倫理観に満ちみちていたサムライが、なぜ覆面を拒まなかったのでしょうか。
 サムライの子女もおこそ頭巾をして顔を隠しました。

[6454] Re[6453][6452][6451][6450]: 観音マスク・ミロク・マスク     生田淳一郎 [Url] 2012/04/13(Fri) 17:23 [Reply]
>図的に、小石をぶつける癖があります、
>
> さら。
>
>
> > 福岡県の o藩だと当たりをつけています。あの咸臨丸つよいのがいっぱいいるんです。

ひょっとしたら、多美さんの通学路もボタ山だったのかナァ
ワエラの国民学校当時の通学路は梯形型ボタ山の肩を縫う道でした。小石ならいくらでもある。まままあの大きさの石を拾って力いっぱい投げると谷底の火葬場のトタン屋根に当たってグワ〜ンと鳴り響く。すると鉄のセセくり棒を持ったオヤジがナニやら喚きならら急な坂を上がってくる
 ガキ共はそれをひややかに見おろして「バァカ、オヤジのバァカ」、「カソバのオヤジ、オマエが死ね」と罵り騒ぐ。
 オヤジの真っ赤な顔が目の前に来たとき「逃げレェ〜〜。
>



[6453] Re[6452][6451][6450]: 観音マスク・ミロク・マスク     多美 2012/04/11(Wed) 19:37 [Reply]
生田さん

小生、顔色を窺う癖があります、

それも、意図的に、小石をぶつける癖があります、

さらに、興味を持つと、多いな石を投げ込む癖があります。


> 福岡県の o藩だと当たりをつけています。あの咸臨丸の最後をメチャクチャにしたエゲツねぇサムライたちです。あすこんニキ(九州弁 ; 場所)にはアクのつよいのがいっぱいいるんです。

 お願いがあります、幕末は既に時効と思われますので、

 ○藩、ではなく、はっきり指摘して頂きたいと思います、

 福岡県の大藩、黒田・小倉・久留米???

[6452] Re[6451][6450]: 観音マスク・ミロク・マスク     生田淳一郎 2012/04/11(Wed) 15:43 [Reply]
>
> > ● 多美さん、ひと様の名前の由来や意味について詮索するのが小生のわ〜るいクセです。しばし忍苦のおつきあいのほどを。
 まずネパール語的に考えると末尾に I が来るので多美さんはやっば女性ということになら。
 アイヌ語的に考えると杖刀人・・・・・・、すなわち男性とならァ〜。
 杖刀を持つ人からちょっとだけ飛躍して、アイヌ語の mutbe’(身につける物)にたどりつき、ここで オオナムチの mut-i が浮上。アリガサマリョータ。

 mut というアイヌ語には「それを身につけるだけの資格ある者が身につける」という概念規制が大いにはたらいているようです。
 結婚式とか貴賓招待の場だとか、総かお見せなどの改まったときに先祖から伝わっている goods を身につけて 一家のじまんにするわけです。辞書によっては、武器という訳もあるかと思います。
 西洋系言語では na の次に動詞が来た場合、「その動詞をしない」という意味となりますが、この場合のオオナとは「王の物」という具合に気軽に考えたほうがいいかと思います。
 すなわち、オオナムチとは三種の神器を保管している家柄の長男ぐらいの意味だったのではないでしょうか。
 むかし、武家では領主から拝領した盃や短刀、刀を家の名誉として子供たちに受け継がせる風習がありました。ここまでは良い。がしかしそれが本当に間違いなく受け継がれているかを意地汚く監視する役目の者がいたり、定期検査の制度があったそうです。
 検査のとき拝領物に少しでも瑕疵があったり、紛失していたりしたときには、誰かが切腹したり家が
断絶となりました。ここまでアクドイことを思いついたり遂行するのはどこのナニ藩だったでしょうか。ここは日本の恥部。断じて見逃せにはできません。小生はこういうことをやるのは福岡県の o藩だと当たりをつけています。あの咸臨丸の最後をメチャクチャにしたエゲツねぇサムライたちです。あすこんニキ(九州弁 ; 場所)にはアクのつよいのがいっぱいいるんです。

[6451] Re[6450]: 観音マスク・ミロク・マスク     多美 2012/04/10(Tue) 19:25 [Reply]

> ● 夕方、競馬場からあふれ出てくる男たちの顔は、皆一様の顔をしています。

最終レースまでいる人々は、ほとんど「負組」でしょう、一部の勝者は最終レース前

に帰ります。と、思います。

> ● 競馬に狂った男を知っていますが、目と目のいちばん近いところの距離は 5ミリぐらいしかなく、自ら奇形を演じていました。

 飲む打つ買うの三点セットに狂うと、同じ様な人相になるようです、ね。

[6450] 観音マスク・ミロク・マスク     生田淳一郎 2012/04/10(Tue) 15:31 [Reply]
人間に限らず、動物の顔も、何らかの内面性を象徴的に表現しているのじゃないかと思いたくなります。
 その眼で見ると牡は勇ましく雌は柔和な佇まいを見せます。
 人間が神概念を取り込み、 それを常時希って暮らしていたら、その神が人相に現れるのではないでしょうか。 
● 夕方、競馬場からあふれ出てくる男たちの顔は、皆一様の顔をしています。
● 競馬に狂った男を知っていますが、目と目のいちばん近いところの距離は 5ミリぐらいしかなく、自ら奇形を演じていました。
 あたり障りがすぐに出る人相学は、なかなかに普及しませんがほとんどの皆しゃんも人相にはあんまし深入りしないところでお暮らしのことかと拝察します。

 「観音マスク」という標題で、ここにも二つ三つ書かせてもらったことがあります。
 観音マスクをしている人は実際にいるのです。
 高校生のときの学級写真ですが牟田という女の子のところでハタと目が止まりました。まぎれもない観音マスクです。
 本人さんは十数年も前に他界していますのでモンダイにはなるまいと思われます。希望者にはコピーをさしあげますので連絡してください。18才の写真ですので溢れんばかりの若さに輝いていますが、大輪の蓮の花が今咲いたばかりといった風情です。

 今年正月、十余年も放置していたからといって、設置薬品業の男性が拙宅にきました鼻眼眉にみごとな彫り込み線(?)があります。
「ふるさとはどこですか」と尋ねたら「岐阜」だということでした。
 こうなるともう、観音マスクではなくって「ミロクマスク」と言い直さねばならなくなりました。
 でも、観音だのミロクだのと日本語ばなれした学術用語はすんなりとは頂けませんね。
 そうすると仏画師とか仏面師たちは自然に放っておけばいろいろと変化を呈する人間の顔を、日ごろよくよく観察して、「これだ!」と思える顔にめぐり遭ったときにすかさず写生して自分のハコの中に仕舞い込んだのではないでしょうか。
 誰が見ても「いい顔」というものも、現実にあるとおもいます。

[6449] ドンの語源    生田淳一郎 2012/04/09(Mon) 12:23 [Reply]
神奈備 ドンありがとうございました。 下[ 6488 ] は神奈備ドンから運転代行みたいにして、投稿代行をやってもらったのでした。 小生のパソコンは 4回もゴチンゴチンと落としたので脳震盪を起こしているんです。
 ドンの呼称はスペインで流行りましたが、首領、親分をいうドンの起源がタジク語にもありそうです。・・・・・・で、何がどこでどう起源となったものやら。
  タジク語で話、会話、言葉は gap いいますだ。ところが gap -don となると全体が形容詞になって「話しのじょうすな」という意味の形容詞になってしまいます。では、don とは「じょうずという意味かというと、さに非ず。じつは don とはうつわ(器)のことなんです。namak は塩ですが、namakdon は塩をいれる容器です。siex は黒色ですが siex don はインクびんです。
 そうすると ドンブリという日本語は、これと関係があるでしょう。ドンブリのブリはいまいち分かりませんが、そのうちタジク語とかロシア語で意味が割れることでしょう。
 肝煎りドンとか過丁稚ドンとかのドンもタジク語とかロシア語で割れる日もそう遠くはなさそうです。
 日本では武将や領主のうつわの大きさがさかんにうわさされましたが。それが習慣になったのは ドンという言葉の持つ響きとひろがり(他概念との繋がり)がそうさせたものだと思われます。
 あー、神奈備ドンの鼎の軽重を問うような、そんな畏れ多いこっちゃ断じてごわはんど。

[6448] 毛虫眉 7  生田淳一郎 2012/04/07(Sat) 21:29 [Reply]
 原発事故と地震で有名になったいわき市ですが、25年ほどまえ、旅籠の横に理髪店があったので散髪してもらいました。
 店主がいうには、ここら一帯の男は剛直なヒゲが多い。顔にシャボンをつけてカミソリを斜めに当てると切れるといったもんじゃなく、他店との競争もあるので、ヒゲの根を一本々々掘るようにして剃るのだそうです。
「これじゃ、東京などと較べると 10倍も手間ひまがかかります」と云っていました。
 弥生時代にツルンとした顔の朝鮮人が毛人を追い詰めて行ったというのは庶民の常識でしょうか。
 とにかくいわき市とか岩手県には毛人にはこと欠きません。


 じつは、東北震災を日本復興のチャンスにして起死回生の偉業をなし遂げれるグループとか人びととは、ぐる〜〜っと見渡すかぎり、日本にはこの毛虫眉のおじさんたちしかいないんです。


 社会が野蛮状態から起ち上がり、文明にすすむとき、その勢力の中核となって来たのは意地と人情の「ニラミのおじさん達」であったことを想いうかべてみてください。政府のもとの行政府((<3>))では一歩も前進はありません。
 世界中から寄せられた義援金は、今、どんなことになっていましょうか。陸前高田市ではようやく 7万円の支給があったといいます。


 気仙沼、陸前高田、大船渡あたりで、親分衆が三人集まって自らを「ニラミ衆」だと自称したときこそが本当の復興元年です。
 「いまの日本は野蛮状態ではない、リッパな文明国だぞ」との認識不足の反論が聞こえて来そうですが、国会もNHKもイテキから乗っ取られた今の日本・・・・・・、野蛮状態でなくってナンでありましょうか。

[6447] √ ツキが出たでた 月がでたよいよい   生田淳一郎   2012/04/06(Fri) 11:41 [Reply]
vv みなしゃん、おめでとさんにござんす!!
 とうとつ・・・・・・、まったく唐突に「ツキ」にめぐまれやした。
 星でいうたら一等星なみにキラキラキラキラと古代日本語を写すtタジク語の、その中でも現代のどの言語が「ててご(父語)」というに相応しいのかをちょっと追いかけたらロシア語臭いことが分かりました。そのロシア語でツキ moon はアイナというそうでんす。
AINA の語形を開音前に戻すと AIN となる。
 
 ayn といえば世界のあちこちで鏡じゃんけ、法律、礼儀じゃんけ。

 アイヌに紙ひとえの近接発音です。M / N を考えると へんなメシ盛り女のいるアイマイやど。ネパール語 AIMAI は女のこと。
 ピリピノ語も「太陽よりも弱い」にひっかけて「女」が出来ていた。

 シナ語の「円(エン)」は満月の◯だったか・・・。

 むかしから人びとは月を見ながらいろいろと想いを巡らせたことがわかります。
 悟ったときの心境とは満月が「沼」に写る姿だそうです。「沼」の語源探索には欠かせない視野かと思われます。

 ところで、小生が生まれ育った稲築町。なんかこう、日月が夫婦となって世界じゅうを廻る縄文神話の水旅の終着点を謂っているみたい。


 みなしゃんも、ロシア語辞書を読みはじめませんか? 
 夢中・至福の 1年間がつづくことウケアヒです。 あ、『ロシ語パスポート』だけは買わないほうがいいヨ。

[6446] Re[6445]: 「靱」  神奈備 2012/04/04(Wed) 19:17 [Reply]
 靱地域は秀吉の時代には雑魚場市場とか海産物問屋が多くできており、魚の販売が盛んでした。秀吉が巡視した際、商人が『やすい、やすい』と威勢のよい掛け声で魚を売っていたのを聞き、『やすとは靱(矢を入れる道具)のことじゃな。』と言ったのが地名になったとの伝承があります。
 地域の人は「靱」の文字に何故かこだわります。

[6445] 「靫・靭・靱」  多美 2012/04/04(Wed) 18:14 [Reply]
「靫・靭・靱」

・・・・延喜式群馬郡伊加保神社名神大とある次に椿名神社小とある。

其祭神の異同が知れ難いから、潮音和尚は仮に二社同神と憶測して、

伊香保温泉の因から元湯彦(もとゆひこ)など、出鱈目を駢べ、之を十巻旧事紀に

ある彦湯支命(ひこゆきのみこと)の別名だなどと託言したが、

此方は彦靭の意味で、矢筒の靭(ゆき)を名乗とした武名である、温泉の湯元彦で

はナイ。

大正5年「上毛及上毛人」の記述の一部、タイトルは「春名の神を満行権現と変名

した秘密史」です、読んでいて面白い表現“伊香保温泉の因から元湯彦など出鱈

目・・・・此方(本家旧事本紀)は彦靭の意味で・・・・、

靫・靭・靱=細長い筒の様なもの?


ウツボ公園のウツボは?

満行権現から靭になった次第です。


[6444] 毛虫眉  6     生田淳一郎   2012/04/04(Wed) 14:22 [Reply]
 25年ほどまえ、東北に 3年つづきの凶作がありました。その 2年めの夏dす。
ミシン改造の営業所として使っていた六畳二間のアパートに三人で寝ころんでいたとき、アベちゃんが「マスター(高橋稔のこと、)、とかなんとか言うても人間は死んでしまうなぁ、マスター、どう思う?」と率直な質問をやり始めました。
 マスターはシに強いアクセントをつけて「ショーがネェヨ」といいました。
 そしてすぐに「死んだらなぁ〜〜ンにもナラン」と二度いいました。この「死んだらなぁ〜〜ンにもナラン」には「生きていてもなんにもナラン」が裏貼りされているのですが、センスのいいアベちゃんはそれを十分に分に感じ取ったことと思います。
 今じゃぁ マスターは 8年前に死に、アベちゃんは5年前に死にました。なァんにもならんのが朝から夜までゴロンゴロンとしています

[6443] 毛虫眉 5     生田淳一郎   2012/04/02(Mon) 20:25 [Reply]
自分が死ぬのがまったく怖くないという動物ばなれしている司馬遼太郎さんの異常神経は生まれつきではなく、後天的なものだと思います。なぜなら、小生も53歳のある日、似たり寄ったりの経験をしたからです。
 それまでの小生はものごころがついた 13歳からず〜っ毎日、自分という現象が dar-dar(驚・恐)で、その自分が死ぬなんてぇいうことは、破天荒もいいところで、水爆を 100ヶ爆発させてもまだ足りないぐらいに rar-tar でした。それが・・・・・、高橋稔と知りあいになり、根源的なことを話題にする暮らしをつづけたせいか、 53歳のある日、ふと気がつくと、 tar-tar はひとつには程度の問題で、そんなには怖くはないようになっていたことに気がついたのでした。それは恐怖感がまったく無くなったというのではなく、それは先に書いたように「程度の差」と表現したほうがふさわしいです。司馬遼太郎さんのように「まったく無い」は、いわばこれは「底抜け」で、別ワクを感じます。
 また、司馬遼太郎さんの恐怖ばなれはもしそれが先天的なものであったら、そのような異常心情を醸しだすのはD.N.A分子の異常配列が原因なはずですので、胎内にいた段階で母胎の白血球群から「異分子」のマークが付けられて無事出産にはなっていなかったことが推察されます。
 しかし、ここでこうして司馬遼太郎さんに斯かる神経異常が現われたという事実は、その拠ってきたメカを解明してゆけば、宗教戦争の過熱ぶりも収まり、青年僧に不要な座禅組みなどを強要するなども大幅に質を変えるものとなりましょう。
 この福音は小さく見積もっても聖書やお経の数百万巻ぶんに相当する。
 ま、オレが睨んだかぎり、ここは踏み誤らせることはないでしょう。山崎正和さんに喰らいついてでもオラァ、やったるでぇ〜〜! 

  ところで、火事場のバカ力というのは「筋肉に嵌められていた一種のカムが外れるようなことで起こるそうです。普通の暮らしでは筋肉は 650キロぐらいしかセットされていないのに、火事だ!という声を聞いたらmカムが外れて 100キロの重さも持てるそうな。このことは催眠術・催眠学でも容易に確かめられますので共有して下さい。
 この司馬遼太郎さんの「底抜け体験」は、暮らしの成り行きの場で、ふと「踏み外したり、ひっかけた」ような事態のよって引き起こされた心理現象だと思います。
 こういう事件は想定できないでしょうか。
・・・・・司馬さんが 50歳前後のとき、モンダイを抱えた司馬さんが「そのモンダイのカムのまわりをうろつき始めた。ところが司馬さんの着物からは紐が出ていて、その紐の先にはフックがついている。
 そのフックの先がカムにあけられている穴にカポッとファックした。
 歩けないので司馬さんがすこし力をいれて引っぱった・・・・・・ら、カムが底抜けになって以前の体制が機能しなくなった・・・・・とか。

 小生が生まれ育った稲築町には未発掘の土壙が二つ残っていて、そこには「力石」という考えかたが伝わっています。敵が攻めてきてどうにもならぬときは、土壙の天井の一角を棒とボンコシハンマ―で突き壊すのです。すると天井部分と壁が土砂ごと落ちてきて先祖の財宝も埋もれてしまうのです。

[6442] 世にも珍しい「北向き妙見」和歌山県伊都郡かつらぎ町滝の北辰妙見神社  そ(八筒光) [Url] 2012/03/31(Sat) 20:49 [Reply]
北辰妙見菩薩を祀る神社・仏閣は「王者南面」で南向きが当たり前。
ところが日本国内では三箇所だけ「北向き妙見神社」というものが存在する模様。

まずこちらがそのひとつ(http://blog.livedoor.jp/mima_hinokai/archives/51543439.html

そしてその総本社と言っていい神社がこちらの和歌山県伊都郡かつらぎ町滝に所在する「北辰妙見神社」
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=4017
http://www.katsuragi-kanko.jp/K/k-rekisi.htm
http://asp.nihon-kankou.or.jp/bnr/ctrl?evt=ShowBukken&ID=30341ag2130013463
http://v7.cache1.c.bigcache.googleapis.com/static.panoramio.com/photos/original/27485882.jpg?redirect_counter=1

かつてこの付近は神仏に対する信仰が盛んで神仏習合が明治時代までごく当たり前の地域だったらしくこちらには神社にかかわらず極楽寺から移された「金銅弥勒菩薩像」や「大般若経」や「梵鐘」が現存する模様。

極彩色の美しいその社殿だがなんとその向きは「北向き」、なのにご利益が凄いのかなんと遠方から、特に阪神地区からの参拝者が絶えないとの事。

北向きにされた理由はさだかでないが私としてはもし能勢妙見山と一対の関係だとするとこちらが北向きにすることにより「衆生救済」の本誓をあらわしていることも考えられるがいずれにせよ貴重な存在。

一度はかつらぎ町観光とあわせて参拝されて世にも珍しい「北向き」北辰妙見さまと御結縁されてみてはいかがでしょうか。
(私はすでに二十数年前にJR和歌山線「妙寺」駅から1日かけて徒歩で詣でた記憶があります、秋の紅葉がすばらしい時でした)

[6441] 毛虫眉  4      生田淳一郎   2012/03/31(Sat) 18:10 [Reply]
 司馬遼太郎量さんは開高健さんの文体を、バリバリ岩を噛み砕きながら進むブルドーザーみたいだと評したことがありました。
 文体とは魚釣りでのシカけケみたぃなものだとおもわれます。マグロを狙うときとサバを狙うときとでは仕掛けががらりと違うのです。
 司馬遼太郎さんがどんな魚を狙うのかといえば、内部に多数の神経脈絡みたいなものを包含しながらも「全体として「ひとつ」を呈している人間とか、社会とか、その歴史、習慣、風俗などなど・・・の有機物みたいな社会現象なんでしょうか。とりわけ宗教を平易な用語で演出できることの意欲重要さは、強烈だったにちがいありません。 いちど中央アジアのオアシス国家に華開いた華厳経〜華厳の世界を描写した司馬遼太郎さんの記事を読んだことがありますが、どうして当時の人びとがそれをこの世で最高のものとして受け容れたのかについての説明が足りなく、なにやら解らないものが残った記憶があります。

 現代言語学の始祖と仰がれているソシュールはしゃべり口を、ふだん着と県庁行きに分けました。県庁行きのものいいは「左様・然らば」とシャチホコばったものいいで、これでは「凭りかかろうとする<1・2> の、D.N.A様に裏うちされた「肉・情念の場」がなかなか出ません。
 しかしながら、いったん「文体」に乗っけられた文章はもの凄いスピード感であたらしい平民世界を拓きます。
 ある時期の司馬遼太郎さんにとっては、いろいろな宗教を一時氷結させておき、そこへ岩をも噛み砕く文体を希求したのではないでしょうか。

 井筒俊彦さんを評して司馬遼太郎さんは「天才を 20人集めたような・・・」と表現したので、司馬遼太郎さんその人をどういえばいいのかに戸惑いますが、司馬遼太郎さんは並みの人間じゃないです。
 京都の山崎和行さんは司馬遼太郎さんと何回も対談をした人ですが、ある対談で話が途切れたとき、司馬遼太郎さんがまったく薮から棒に「わたしは死ぬのがまったく怖くないのです」と、問わず語りにぼそーっと洩らしたのです。このことは『日本人の内と外』という対談集のおしまい部分に出ていますので確かめてください。死ぬのが怖くないという自分の神経のありかたが、自分でもオカシイと気がついたからでしょう。
 「死ぬのがまったく怖くない」なぁ〜んていうのは、人間ばなれどころか動物ばなれしてるじゃないですか。

 折しもヂヂババ社会。ヂヂババに面と向かって「アンタ、死ぬのが怖いか」と問えば、ぜんいんが「そうでもないよ」とカラ元気を見せるが、それはウソです。国会も報道機関もイテキから占拠されてるっというに、シランっぷりできるのは 10秒でも 27秒でも、ちょっとでも長生きしないと損だと思っているからです。いのちが惜しいからです。

[6440] 「宵の明星社・出雲大社」「夜中の明星社・尾張大國霊神社」「夜明けの明星社・大甕倭文神社」  そ(八筒光) [Url] 2012/03/30(Fri) 19:30 [Reply]
もし、上記タイトルに皆様の発言に対する苦言をご容赦くださるならば少しばかりの苦言をお許し頂きたい。

もし「宵の明星社・夜中の明星社・夜明けの明星社」が上記三社ならば納得していただければいいのですが・・・。

まず出雲大社が「宵の明星社」であることは先だって「掲示板」にお示しいただいているので理由は敢えて省きますが私なりの補足をさせていただきます。

まずは以下のリンクをご覧ください。
http://izumooyashiro.seesaa.net/article/161420846.html
http://izumooyashiro.up.seesaa.net/image/heimenzu.gif

ここで注目してほしいのは高御座が何故に「西方」を向いているのか。
これは「天津甕星の謎」でも大物主之命が「星を統べる命」とされており明星、即ち金星も含んでいることとそもそも日本神道の神々は大部分が朝鮮半島渡来ということを考えると夕筒・・・黄昏の夕方に北西に現れた「宵の明星」を祭神はおのぞみになっており西方に向けているのではないかと、私は考えている次第です。

因みにリンクの文中にある、

「<出雲大社の御神体>
出雲大社御本殿の小内殿奥深くに鎮座される御神体とは何なのか、正式には発表されていません。多くの文献が語るその正体は謎に満ちて推測の域を出ません。」

の正体とは、誰あろう「天津甕星・天津香々背男」ではないでしょうか。

次に「夜中の明星社・尾張大國霊神社」に対してはまず、代々の宮氏さまが「天津香々背男」の末裔を語っていること、尾張氏が物部氏の末裔であること、付近には天津甕星を祀っている神社がおおくまた「海部郡」には実際に「明星が飛来した」と言う伝承を持つ地があること、神社社殿が南向きになっていることなどが挙げられます。

また社殿の主祭神には謎に満ちている部分が多く・・・
(http://messiah666.seesaa.net/article/219538043.html)
それが「天津香々背男」である事を暗示させている部分でもあります。

そして「夜明けの明星社・大甕倭文神社」に対してはもはや説明は要らぬでありましょうが「ゼンリン地図」で確かめて見るとやはり社殿が東寄りになっていることから「夜明けの明星」の方角に対応させていることが考えられます。

また神仏習合の事で申し訳ないのですが「宵の明星」の本地仏は「阿弥陀如来」、夜中の明星は「大日如来」、夜明けの明星は「弥勒菩薩(あるいは薬師如来)」と言う点もヒントになるのではないでしょうか。

[6439] 毛虫眉  3     生田淳一郎   2012/03/27(Tue) 18:03 [Reply]
  はやりことばといいますが、よく使う用語にも流行り廃れがあるようです。
 20年ほどまえシンドロームという語が流行ろうとしたとき、小生はジャーナリストの集会場みたいなところへ「シンドロームという語は辞書ひいてもワカラン」と電話したのでした。この語は CY--から始まるのでワカランというのが当たり苗でした。今では廃語同様です。
 半年まえあたりから「考えや認識を共有する」というのが流行ったようですが、このごろではあまり喋られなくなって下火になったようです。
 古代人にとって最も痛ましい人生事は身うちや親しかった人との死別だったと思われます。
 身内が病気で死ぬときにはどこからともなく黒い小さな鳥が家の中にやって来て トエッ トエッ と鳴いて飛びまわった・・・・・。現代人がこれを読むと「ウソだろう」としかおもわないでしょうが、これは苫小牧市大成町にいたアイヌ婦人の砂沢クラさんが書いた手記です。
 それは『クスクップオルシぺ(私の一代記)』にありますので、まだ読んでない方にはぜひの一読をお願いします。 この本には砂沢クラさんもそうですが一族のオタシュツtアイヌのことが具体的に描写されていますので、古代の巫術(TUS)を中心とした暮らしを共有していただけるかとおもうしだいです。
 北海道のオタシュツ・アイヌはクラさんも書いていますが、とにかく霊格が高く、周辺アイヌから神さまのように慕われていた人ばかりでした。もし他界しようものなら、人びとは遺徳を偲んで神社を建てたとおもうんです。それは出雲聖人族でも Mさんでも赤木三平さんでも同じことだった。そしてそれは「大むかし」だけのことではなく「ついさいきん」でも「現在」でも同じ原理がはたらいているはずです。

 
 司馬遼太郎さんはさかんに “文体” ということにこだわり気にしました。「ひとつの思想や想念を受発信するには、それ相応な言いまわしが選ばれなくってはいけない」ということでしょうが、その選別される文体はとてもデリケートな神経で決定されるようです。
巫術、心霊の領域事を語り、それを言語的に受信するとなると、とんでもない斬り込み角度と、受けるほうの鍛錬などなどが「乗り越えるべき多くの前提」となると見込めるのです。(中断・つづく)

[6438] 毛虫眉 2     生田淳一郎   2012/03/26(Mon) 18:15 [Reply]
 小生がまず最初に連想したことは後三年の役が秋田の物部系の神社がうごいたことによって闘いが始まったという歴史事実のことでした。昔は(そしても今も)人びとは隣国や国境があるかぎり戦争が起こるることを前提として暮らしているわけです。神社とは戦闘に備える武力団だったわけです。
 次に小生は津軽ツルタ町でハゲます会の世話役をやっている竹並さんの眉を憶いだしました。鶴田とは川崎真治さんによれば「武士階級」のことで、この反対が亀田町」の農民です。
 竹並さんのタケは「武」で、NAMI とは名前を同じくするもの」すなわち「族」で、竹並とは「武・族」です。
 この人の眉はハリガネみたいな剛直な毛が十数本、頭の中央から突き出している・・・といった感じでした。長さは 5cmはあったと記憶しています なにかにつけ、津軽は元卿を指し示しますナァ。
 おへまの里は長野県と接する新潟県寄りの町ですが、県境を西に越えたすぐの栄村出身の◯沢さんがときどき拙宅にあそびにきて、いろいろなことを喋ってくれます。 その話のひとつに Mさんのことがありました。Mさんは◯沢さんと同世代といいますので 80才前後です。 Mさんは日ごろはふうさいも上がらず、飲ん兵衛でいつもそのへんでとぐろを巻いているような人物だということですが、この人はこと神官に関しては第一級だそうです。予言、霊視、霊廳などの巫術ではこ の人の右に出る者はいないということです。

 唐突ですが出雲に上陸して出雲帝国を創った人びとを出雲聖人族と呼ばさせて下さい。小生はかなり前から北海道に入ったオタシュツ・アイヌと出雲聖人族とは同一だと睨んできました。出雲聖人族と、それ以前からの土着人(蝦夷)とのピンキー(混血児)が毛虫眉になったにちがいありません。
 出雲聖人族の文化は奈良熊野の地で花ひらいたのですが、その流れをくむ密教行者・山伏たちは日本列島にあまねく、聖なる思想を普及させたことだろうと思うんです。その現象の地方での現れが Mさんだと踏めます。


 ハナシポーンですが、北海道道洞爺湖の西南に豊浦町、豊浦駅があります。小生の処女作『アイヌ語の謎』を世に出してくれた山音文学(社長 ; 赤木三平さん)はこの豊浦駅から北へ 5キロはいった山の中の大和という集落にありました。豊浦町は全北海道に鳴り響いた拝み屋さんがあることでも有名でしたが、赤木三平さんは「あそこの社主は若い時にいっしょに霊能力を出すべく修行した弟子兄弟だと云っていました。
 赤木さんとは 4回ほどしか会っていませんが、会うたびに「生殺するな、我執を捨てよ」と、口ぐせのように云っていました。
 この人、はホントーに我の根を断ってしまったのか、ちょっとした風邪ですぐに死んでしまいました。
 「赤木先生死す」との情報が全道をかけ巡り、北海道の隅々から弔問者が押しかけて来ました。
 まだクルマは今のようには行きわたっていないときでしたが、弔問のクルマが豊浦駅から大和までズラリと並んだそうです。
1鰢台 5m と計算するとしても、かなりな慕われようです。
 というのも、赤木さんは全道を巡って新聞に『北海道・駅名の旅』という連載記事を書いたのですが、その旅で出会った多くの人びとの運勢判断や人生相談にのってあげて、みんなから非常に感謝されていたからです。(中断・つづく)

[6437] 毛虫眉 1  生田淳一郎   2012/03/25(Sun) 14:20 [Reply]
 イタキソ様分析のところで必要なコメントを言い忘れていましたので、ここで付言しておきます。
 それは十二社はジュウニ社シャでもジュウニソーでもどちらでもよかったということです。ここに「シャ =ソウ」がえられて、古代では「ソウ = ソ」が言えることから、イタキソ様末尾の so が自らの地歩を確定させ、「社 = 場所」が導き出されのでした。


 もう一つ、「バッチリ・シャッキリの眉こそはまぎれもなく立派な日本人だ」としましたが、これには「毛虫眉」は含まれないということも言い忘れました。
 毛虫眉がどのような人種に似合うのかを考えてみました。
 すると、それはザイにあって二足のわらじを履いている小親分です。いつも三人とか五人の子分どもから「親分親分」と呼ばれていい気になって村を肩で風きってのし歩く気の小さなヤツ。名前はタメゴロウ。近所の後家さん情報には抜け目なく気をくばっている。
 いい物食って運動不足なので顔のあちこちの肉がふくれている。
 こいつがドテラ着て長火鉢の前にどてんとあぐらかいて石川五右衛門気どりでぶ暑いくちびるにキセルをくわえた図にはどうしても毛虫眉でないと収まりがつかねぇ。

 そうか、「毛虫眉はザイにありだな」と踏んだ小生はおへまに「おい、おまえの同期生あたりに毛虫眉のぬしはいねぇか」とききました。
 答えはすぐに「いるいる。ただしこ人の家は代は代々神主の家だったのよ」。
 それ聴いて二、三の連想がはたらき、日本の超古代と北海道のオタシュツアイヌが頭n中で握手したんでした。《中断、ちづく》

[6436] Re[6435][6434]: イタキソ様のお出まし     生田淳一郎   2012/03/23(Fri) 19:58 [Reply]

> をご一読を。  社に謝。 ドン、削除をおねがいするところでしたが、すでにやってもらっていたんですね。アリガサマリョータ。
 頭の上に書見台をブラ下げ、これにタジク語の辞書を縛りつけて半年、眼がわーるくなりました。

 タジク語を読んだお蔭で日本開闢の縄文思想を掘りだしえたことは、小生の目玉ひとつで替えられるもんなら、こりゃとても安い買い物です。
 「イタキソ様の語源が割れたよ」みたいなことで書いたのはこれで 5度めか 6度めかと思いますが、先回書いたときは ITAKISO 中央の I がわからぬままでしたが、今回は「ててご様」のお導きでスンナリ行ったかと思います。

 そういえば「社 =SO は鹿児島方面のことばにあったかと、かすかな記憶があります。するとすると、鹿児島に多い「園」がつく姓は、この SO(場所)とおおいに関係がありそう。
 ソノの「ノ」とは何でしょう? 吉野、熊野の「ノ」にちがいないが・・・・・。

 吉野といえば水戸藩は神社をヨシ・ナントカといっていた。
 水戸の国学とやらを解説していただけませんか。

 オット・・・、焼け尻と白内障の関係で パソコンは 2週間の禁足(?)をくらいました。
 おへまの眼を盗んで、また書きます。
>

[6435] Re[6434]: イタキソ様のお出まし     神奈備 2012/03/21(Wed) 21:23 [Reply]
>  イタキソとは「祭の場所」だった。ドン、長生きしてくらはい〜イヨッ↗。

イタキは何とか。
ソ は 社で理解ができます。

http://kamnavi.jp/itakiso/itakeooya.htm

をご一読を。  社に謝。

[6434] イタキソ様のお出まし     生田淳一郎   2012/03/21(Wed) 11:53 [Reply]
ドン、おめでとう!!

 イタキソ様の語源が割れたヨ ! 但し、100点満点で 97点ぐらいかナ?

「ほどけ」へ導いた要因はいろいろあるが、大きくいうと次の三つかな?
● 「ててご(父語)が縄文語としてほぼ確定したこと。
● 10世紀ごろアイヌ勢力の主要一派が占拠していた地域が小千谷周辺だと判ったこと。これによって 日本語 / アイヌ語の相互関係がかなりのところまでつっこめるようになった。
● 十二社は 社禝の社であって「(先祖伝来の)土地」 → 「その土地」へと還元できること。

 ITAK--ISO を構成する TAK は神と置ける。タジク語を援用したいが TAX は王座・寝台なので、ちょっとズレる。ここはたか(竹)、ウタキ、ピリピノ語 itago (降霊)、などに含まれている *TAK *TAG(神)をたてる。*TAK はアラビア語、トルコ語などにもみられる。
ITAK は ITAG と同価である。I-TAK とは「神する・」・・・・すなわち祭ること。
 この次に SO(所)がくるので 繋辞 の I がたつ。これで ITAKISO の音の部分は完結しているはず。
 くり返し云いますが、 繋辞は縄文語の「ててご(父語)」です。

 3年ほど前になるか、ここ青草談話室で「社」を「そ」と読ませている例を一つだけ拾って取りあげたことがありました。
 そこで十二社。ここで使われている “ 社 ” は墓場という概念から発達してきた「場所」です。そしてこれはイタキソ様にもそのまま適用されているとみていいでしょう。

 ではなぜ、ソーという長音が短音の「ソ」にな(化)ったかですが、たまたまか (いや、必然らしい!)、絶好の好例が日本語とアイヌ語のあいだにみられるのです。長野県野尻湖近くのツバメ温泉のすぐ上にソウ滝があって、古代日本では滝をソーと発音していたことがわかります。この「ソー」がそのままアイヌ語になって、アイヌでは滝を「ソー」と云っていた・・・・・と、かなりの日本人が思っていました。
 ところが「なかしべつ・すがわらさん」は「アイヌ語には長音は無い」と指摘しました。
 そう思っ眺めてみると壮瞥や層雲峡などの SO は、「ソー」ではなくって「空知」のように短く「ソ」と発音するのが “ 本来の? ” アイヌ語らしいのです。
 そこで、大長刀をふるえば「 古代 10世紀ごろの日本列島語では ソー は ソ である」との措定が可能になりそうです。
 いっぽう、現代朝鮮語では同じハンギル文字を書いて、長音でも短音でもどっちでもいいので勝手に読んでくれ という非科学的なことをやっている。ついでにいうとハンギルでは清音でも濁音でもどっちでもいいので勝手に読んでくれと云ってる。こんなのが 15世紀になってできた文字かよ!

 そういうことをふまえると、滝は ソー でも ソ でも構わないということになり、イタキ社」は「イタキソ」になってもオカシくはありません。

 「なかしべつ・すがわらさん」は「ある漢和辞典には滝をソーとルビふっているのがある」と知らせてくれました。しかし、その後すぐに他界されたので、その辞典が今どうなっているのかはわかりません。
 イタキソとは「祭の場所」だった。ドン、長生きしてくらはい〜イヨッ↗。

[6432] Re[6431]: マントと川並さん     生田淳一郎   2012/03/18(Sun) 11:36 [Reply]
 下 [6431 ] の記述はヘンなふうになって終わってしまいましたが、オレがいいたかったのは、個人の人相風てい、ちょっとしたしぐさにはひとをトロかすような個性がにじみ出ている・・・・・、そういう人物が時として出現するのだから、顔も見ないうちtから好きだキライだを決めてしまうのは、勿体無いし、その人に対して失礼になるとおもうんでよ。なによりも自分(の人生)に対して不謹慎だし、これ、チャランポランな態度というべけれんや。

 ひとは、深い・浅いの程度の差こそあれ、ず〜っと人相学みたいなことをやっています。社民党の KO の顔をみて「あっ、この人物なら安心できるし間違いない」と思う人は一人もいないはず。
 ハナシポーンですが、セールスマンの最高の愉しみは自分の顔を練りあげることです。そこにはD.N.A様の枠がせもありましょうが、その枠の中で極致へと向かうのです。このへんのことは飛び込みセールスをやったことがある者だけの醍醐味でしょう。
 せっかく読んでくれてるのでこのへんで特別サービスをしておきましょう。
 日本人として安心できる顔とはどういう顔だと思いますか? これ案外カンタンなことですヨ。
 眉が「バッチリ、シッカリした人」です。
 どういう社会的淘汰が行われたか、具体的には知りませんが、芸能人にはバッチリ・シッカリの眉を持つ人が多い。伊藤久男、植木ひとしやクレージーキャッツのメンバーの顔をいちどひっぱってみてください。
 前漢をおこし高祖となった劉邦は流民でしたが、えもいえぬ人間的な魅力に溢れていたのではないでせふか。
 チェーホフは文学内容もさることながら、そのほほえみがメチャ素晴らしかったそうです。

[6431] マントと川並さん     生田淳一郎   2012/03/17(Sat) 12:38 [Reply]
 アレエー、多美さんは「小生」と描いておられますが、男性なんですかァ?  オレ、女性だとばっかし思っていました。女性のほうが好きになれそう。
 小生らは福岡県中央部の筑豊で育ちましたが、当時、山口高専という高校がありました。山口市にある高等専門学校ということでしょうか。
 いまから65年ほどまえの敗戦後、そこに川並さんという豪傑学生がいました。川並姓は日田にあるので日田の人でしょうか。


 旧制高校ですので高ゲタはいて腰には煮しめたような手拭いをさげています。頭にビッテン帽、裸のままマントをまとい、近くの農家をうろついて乞食みたいなこともやるのですが、いつも「スマンですなぁ」というので、その声ひとつで農家の人たちはホロリとなったといいます。
 この豪傑は「スマンですなぁ」のほかに、嬉しくなったときには「あんたもどうですか」というのが口ぐせです。
 ある朝、川並さんは地図をひっぱりだしてごそごそやっていたが、急に大きな声で「ワカッタ、この方向にまっすぐ行くと京都に行ける!」と言い残して勇んで出て行ったそうです。
 ところが、ひるちかくになって、じつにションボリして帰ってきた。「どうした?」と訊いたら「あすこでドツボに落て込んだ」という。それから下級生を呼びつけて、「オイ、洗え」と威張ったもんでした。

 この川並さんが映画館に入った。ムンムンする暑さなので川並さんはマントはうしろにまわしてほとんど裸になった。
 そこへ顔見知りの先生が入場して川並さんの隣の席に座った。
 「暑いですなぁ」だけでやめればヨカッタのに「ついに「先生、あんたもどうですか」と云ってマントで小柄な先生を抱き包むようのした。ムッとなった先生はすぐに映画館を出て行ったそうです。
 下級生たちがぶーぶーモンクこきながら洗ったマントはまだ十分にクサかったんだとおもいますヨ。

● 沖縄語がホントーに日本語と同じなら、それはそれでいいことです。でもちょっと方言をあたれば元寇が始まるまでは、沖縄はぜんぜん別の言語圏だったことが歴然として把握されます。
「日本本土も沖縄も同じなら、「アメリカからやっつけられる。「あんたもどうですか」となり易い。
 ウチナンチューはおとなし過ぎる。野田の面前で県知事みずからが「おまえはどこの国民なんだ、帰れ帰れ!!」と痛罵して、自らも腹切るぐらいのことをどうしてやれないのか。

[6430] Re[6428][6427][6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/17(Sat) 10:14 [Reply]
まっつぁん、きわめて強引に我田引水の「議論の場」に引き込んだようですが、なんのこたない。
 下 [ 6427 ]の背景にはオレと高橋稔が人生のエッセンス期をかけた 26年間にわたって話し合ってきた事に裏うちされています。
 意識は世界観と価値観に二分されているかと思いますが、うち、世界観のほうは大略のところで、現代物理化学が指し示していることに要約されましょうし、価値観のほうは、これから可能なかぎりオレが平べったく説明すりゃそれでいいことです。
 価値観・・・・・というと、ほとんどの人がうしろ首すじに緊張の電気を走らせるかと思いますが、下 [ 6427 ]でのべた<1> 〜 <6> のうち、どれを最優先順位にして事柄に適用しているか・・・・・その次には 残る 5種のうちのどれを採用・適用しているか そしてその次は その次は・・・・・の、選択の態様のことです。それをカンタンにいえば価値観だったというこってす。

 オレはバカかもしれんが高橋稔は珍しい高知能で、地位も名誉もつかぬままに 8年前死んでしまいましたが、「あの世みたいなところ」に迷いこんで、そこからシャバに戻ってくる道すがら、見せつけられたことどもから「価値観のことならコトバで云える」との確信を得たのでした。
 高橋稔はオレよか 9才とし下ですが、元全学連の闘士で、まったく飾りっ気のない男でした。高橋稔のいうことは人類のたから物だとおもいますヨ。これをじょうずに云えないところが、いまのオレの泣きに泣きたい弱点です。

 たとえばですね、宮古島の郷土史家さんが宮古島で発行されている同人誌を送ってくれたのです。みるとそこの筆者は元学校の先生だったとおぼしき人びとでしたが、その中で 5人も 6人もの人が奈良・京都の仏像とか文化に憧れているようなことを描いていたんです。
 それを見たとたん、オレは「ワッこりゃイカン」とびっくりしたのですが、どうしてそれがイカンのかに就いてはひとことも説明ができないんです。
 あれだけの艦砲射撃をうけたウチナンチューが、仏教や神社にあこがれるなんて、「そりゃ昔辿った道じゃんか、ヤメロヤメロ」の声がのど元まで突きあがってくるのですが、その先のことばがつづきまへんねん。やっぱ、オレはバカなんやろナ。
 でも価値観をたんねんにたどって行くなら、どの人も例外なく「ワッこりゃイカン」となること、ウケアヒです。

[6429] Re[6428][6427][6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  多美 2012/03/17(Sat) 10:07 [Reply]
●外間守善


外間 守善(ほかま しゅぜん、1924年12月6日 - )は、言語学者、沖縄文化研究家、沖縄学研究所長、法政大学名誉教授。沖縄県那覇市生まれ。

沖縄師範学校在学中に現地入隊。國學院大學文学部国文学科卒、東京大学文学部言語学科研究生修了。伊波普猷の後継者として、琉球文学・文化研究の第一人者。琉球古典の伝承、琉歌『おもろさうし』を紹介した。1995年まで法政大学教授。1996年『南島文学論』で角川源義賞受賞。今上天皇・皇后に沖縄関係で度々進講し、琉歌の添削などもしている。2003年福岡アジア文化賞受賞。

剛柔流空手八段をはじめあらゆる武道に精通し、野球や陸上競技でも国体出場経験を持つ。


●伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の民俗学者・啓蒙家。

経歴

第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学で言語学を専攻する。帝大では、橋本進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講している。

帰郷後沖縄県立図書館の館長を務める傍ら、沖縄研究資料の収集に尽力した。歴史学者の比嘉春潮とともに、エスペラント学習活動を、教会では聖書の講義などを行った。弟伊波月城は、沖縄毎日新聞の新聞記者として文明開化の為に活動した[1]。

学問の領域は広大で、沖縄研究を中心に言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡る。その学問体系よって、後に「沖縄学」が発展したゆえ、「沖縄学の父」とも称された。

『おもろさうし』研究への貢献は多大で、琉球と日本とをつなぐ研究を行うと共に、琉球人のアイデンティティの形成を模索した。「日琉同祖論」はその探究の一つである。しかし『琉球宗教史の研究』では「琉球研究の開拓者としての功績は大いに讃えられて然るべきである。」と評する一方、その研究について「文献に偏重し、加うるに結論を出すに急であったために、幾多の論理的飛躍と誤謬とを犯したことも事実である」との指摘を行っている。また彼の思想の欠点は、近代日本がうみだした沖縄差別への批判が弱かったことで、そのため、沖縄人としての生き方に誇りをみいだすことにおいて、一定の成果をあげたが、結果として天皇制国家に沖縄をくみこむための政策に利用されることになった、という評もある。

民俗学者の柳田國男や折口信夫、人類学者の鳥居龍蔵、思想家・経済学者の河上肇らと親交があった。そして、友人の東恩納寛惇が浦添城跡の顕彰碑に刻んだ言葉が伊波を物語る。(ウキペディア)より

 
 小生はじめて「外間守善」さんの情報をみました、

まったく言語学のことは判りませんが、

生田さん琉球松さんのやりとりを拝見しますと、

かみ合わない原因の一つに、

生田さんは「外間」さんの事が『嫌い』なんではないかと思われます、

これを払拭して合意形成はとても難しいのではないでしょうか?

『好き&嫌い』はとても判りやすい表現と思います、

因みに、

ここに参加して人は、多分、神奈備さんが好きだと思います、

時々、乱入者がいますが、直ぐに、撤退逃亡(笑)、

以上、失礼しました。




[6428] Re[6427][6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  琉球松 2012/03/16(Fri) 14:02 [Reply]
生田淳一郎さん

 難しい文章で、半分くらいしかわかりません(泣)。
 " 外間守善さんは『集団形成的真理』を追求している" 。。。それでもいっこうにかまわないんですよ。

 まあ、僕は "妥当性" と書きましたが、"説得力" に置き換えてもいいかもしれません。
 琉球方言や、本土方言のある単語の語源を探求する場合、外間守善さんのほうが説得力があると思えるだけのことなんです。

 外間さんは、自らが解明できない言葉を「未詳」とし、後世の研究家に委ねるとの姿勢ですね。「未詳」を無理に遠方の言語と繋げる作業を控えています。
 "Yes or No" だけではなく、グレーゾーンの中にもヒントがあると考えますがどうでしょうか?

 ところで。。。通称「マンタ(オニイトマキエイ)」なですけど、これってフランス語?の「マント」だと、ここでは俗説となってますけど、生田淳一郎の解釈は?

[6427] Re[6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/16(Fri) 12:29 [Reply]
 まっつぁん、ここで『集団形成的真理』ということをシカと考えてくれませんか?
 世の中の歴史観とか言語観がどう動いてゆくかではなくって、観測器をどこに据えるかにモンダイがひとつ残りますが、その観測器を覗いてみて、向こうに黒い丸が見えるか見えないかは二つに一つ。「あるかないか」のディジタルな分岐しかない。
 学問は真理の追求であって「世にへつらう人気とり」ではあっもっはん。「見える・ある」 or 「見えない・ない」の分岐が真理であって、そこにはアヤや中間はない。

 ウンジュとオレは、ここでスレ違っちょる。

三脚の立脚点は無数にあようですが、こころを鎮めて考えてみたら、そうも多くはないことに気づく。
 1ヶ月ほど前かな? 神奈備ドンもここに「すべての経験は記憶される」と書いているが、われわれはまず先祖の経験をD.N.A様のご配慮で共有している。これで集合自我という安楽椅子に凭りかかって会話もできる。

 ものごとは極端を考えればワカリが早い。「見える・ある」 or 「見えない・ない」とは Yes or No です。

 あっしゃ文学無用論の旗を掲げたときから、真理の徒として生きてきた。他人の思惑なんざ考えたことがない。真理が「おまえ(おれ)死ね」と言ったら、いつでも死のうと思っている。
 回遊魚のマンタは日本語なのか、借用語なのか。 外間守善さんは『集団形成的真理』を追求しているとしか思えないのでアリマス。

では、集団形成的真理のほかにどんな真理の場があるか・・・・・・。
 ひとつのテーゼが「受け容れられる or 受け容れられない」の基準によって “ 場” が出来ることを利用すると、<1> 眠気・食い気・いろけの肉 <2> 情・ロマン・ふれあい <3> ここ集団形成 <4> 心霊現象をどうみるかの宗教の場 <5> 物の存在理由や不見当識を問わない物理化学の場 <6> 経済 の六種類がある。

それぞれの見識や主張がみずからの立脚点が上↑のうちのいづれであるかを宣言してこそ、論旨の方向が鮮明となるのです。

この 1 〜 6の見解?  いわく、全分野総合俯瞰でアリマス。

■ <2>の情念での真理の場はわかりにくいと思いますのでひとこと。むかしサムライは毎日のように「殿様のご機嫌うかがい」に侍って、ものすごい時間を浪費した。ウンジュは言語をも情念で処理しようとしているのでは? おしなべて、ウチナンチューは集団形成にヨワいナァ〜。

[6426] Re[6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  琉球松 2012/03/15(Thu) 10:19 [Reply]
生田淳一郎さんへ

 外間守善さんの言語学が完璧に正しいというのは、ご本人でさえ否定されています。
 つまりは妥当性の問題ですね。民俗学も神社の縁起解読もしかりです。地名の由来もそうでしょうね。
 『古事記・日本書紀』などの説明も、妥当性の高い説が支持されていいと思いますよ。

 ワン(私)は、琉球方言に関して最も妥当性が高いのが "外間説" と考えていますから生田淳一郎さんとはすれ違うわけでが、アイヌ語や朝鮮語、ベトナムなどの遠方の言葉でさえ妥当性があれば、それはそれで支持されると思いますよ。

 。。。奄美大島の「アリガンサマリョン・アリガタサマリョウタ・etc 」は、薩摩方言の「アイガトモシャゲモシタ」など、少なくとも「アイガタ・アリガタ」の部分はその影響と考えたほうが "妥当" じゃないでしょうか。
 このあいさつ言葉は、琉球方言では新しいわけで、薩摩侵略以前とは考えにくいわけです。

 いい機会ですので、琉球方言の「ありがとう」を、大雑把に拾ってみます。
*** 「アリガンサマリョン(奄美大島)」「ニフェーデービル(沖縄島)」「フガラッサ(与那国島)」「タンディガタンディ(宮古島西部)」「ニ(ミ)ーファイユウ(八重山諸島」「スデガフウ(宮古諸島)他」「ニフェビロ(沖永良部島)」「トウトガナシ(与論島)」「オボレダレン(徳之島)」「ウフクンデール(喜界島)」「フクラシャ(八重山諸島)他」*** まだまだありますがこのへんで。

[6425] 兵庫県丹波市柏原の「柏原八幡神社」の「青山祭壇の儀」に大阪天満宮「大将軍社」と同じ三神が・・・  そ(八筒光) [Url] 2012/03/13(Tue) 18:58 [Reply]
兵庫県丹波市柏原に所在する「厄除け八幡」として霊験新たかな「柏原八幡神社」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE)に毎年2月17・18日両日に行われる「厄除け大祭(通称・青山祭壇の儀)」に関する動画リンク。
http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=189475

(解説文より)
「兵庫県丹波市柏原町にある柏原八幡神社は、「柏原の厄神さん」の呼び名で親しまれており毎年2月17、18日には厄除大祭が行われ、およそ10万人が訪れています。18日の午前0時から行われる「青山祭壇の儀」とは、神籬(ひもろぎ)である青山祭壇に災いをもたらす神様もお招きし、厄除神社の三柱の神である「ヤチマタヒコノカミ」「ヤチマタヒメノカミ」「クナドノカミ」がおもてなしをするという神事です。」

ここで注目されるのはここの特設の神籬(ひもろぎ)である「青山祭壇」に招かれる三神「八衢比古(やちまたひこ)神・八衢比売(やちまたひめ)神・久那斗(くなど)神」
実はこの三神はあの大阪市北区南森町の大阪天満宮の北西に位置する「大将軍社」に祀られている三神と同じなのです、これは一体どういうことでしょうか。

その理由はこの大将軍社の解説をしているこちらのリンクに説明されています。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/daisyougunnsya.htm
もともと難波宮の世代に行われた「道饗祭(みちあえの祭り)」にて神招きしもてなして災いを消除するように祈願したのがその最初と言う「青山祭壇の儀」に似た意外なルーツがあったとの事。

大将軍神と言えば本来は祟りを成す「艮(うしとら)の金神・一説には「国常立命」」を連想し厄神と思ってしまうのですが本来は大切に祭祀しもてなしさえすれば逆に善神となり人々の災いを取り除いてくれると言う意外な霊験をもたらすとの事で違うイメージの三神の信仰が今も息づいている事に現代社会人の心のふるさとを感じさせます。

[6424] Re[6418][6415][6412]: トイレの神様  生田淳一郎   2012/03/12(Mon) 11:06 [Reply]
 >3月7日の そ(八筒光) さんの・・・

● 《富士見るや 三月七日、八日ごろ》

これは明治初年、江戸から静岡市の駿府に移住してきた武士の雪隠に張り紙がしてあったのを、杉順道がみつけてうれしくなったので親分すじの勝海舟に告げた句です。
 雪隠は当時加番長屋と呼ばれていた仮設住宅のもので、八軒長屋だそうです。
 杉順道がなぜ嬉しくなったかというと、貧乏貧窮のさ中にあっても糞をしながら富士山を眺めながら一句をひねっているなんざは貧乏旗本の気持ちに余裕がでてきた証しだと感じたからだそうです。

 勝海舟が 28才のとき22才の杉順道が初めて勝の「ぼろ塾」を訪ね、そこでオランダ語の文法などの講師となるのですが、杉順道は終世勝から離れず、勝のすぐれた観察者としての姿勢を貫きました。
 勝としても、もし杉がいなかったら、勝固有の世界観・価値観はもっとちぢみあがったようなものになっていただろうと小生はおもうんです。
 たしかに勝海舟は飛びぬけに秀でた人物ですが、認識とは医者の打診と同じく、世間を叩いてみて、その反響音響でより正確な認識へと近づくものだと思うからです。
 そういう意味あいでは、維新〜明治期に占める杉純道の位置はすこぶる大きなものがあったと思われます。
 日頃の杉は勝に冗談を云ったり冷やかしたりしましたが、そういう日常の会話こそ、ひとを育てるのだと思います

[6423] Re[6422][6420]: 紀氏と百済  キノ 2012/03/11(Sun) 19:34 [Reply]
神奈備さま、ご回答ありがとうございました。分かりました。

[6422] Re[6420]: 紀氏と百済  神奈備 2012/03/11(Sun) 13:33 [Reply]
> 木羅斤資

 もくら と き とはつながらないと云うことで、最近は云われなくなりました。


> 百済
 和歌山の遺跡からの出土物は、高句麗、新羅、伽耶の影響が多いようで、どうも百済の影が薄いように感じています。
 しかし、まだまだ出土して来るでしょうから、「今のところは」と云う程度だと思います。

[6421] Re[6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/11(Sun) 11:19 [Reply]
  下 [ 6419 ] への蛇足追補です。
■ 沖縄人が tsu と zo という日本流発音を云えなかったとしたら、これは由々しいかぎりで、やっぱ沖縄はある時点から前は、使用している基礎発音が、言語として「日本のそれとは別系統だ」ということに帰するのではないか・・・・・と、思います。
 すなわち、「強力な反対論がないこと = いつのまにか正しい」との権威主義による集団錯覚に支持されて、「沖縄語と日本語は起源的にも系統的にも同一だ」とする外間守善さんの論旨主張はまちがいだということです。
 「ある時点から前」とは、沖縄が歴史の舞台に出現した 元寇のころの 13世紀以前です。

■ アリガサマの「サマ」は、アイヌ語のヤイシャマネナ(自らのこころ・歌)の心情吐露とか アネコサマ(真似る)にも見られてかなり族際的ですが、沖縄の名詞形成末尾辞 の -SA にベトナム語の -ma(強調接尾辞)がついても得られる語形です。
「なんと! ベトナム語?」 といってアワ吹くなかれ。沖縄ででよくしゃべられる マーカイメンソーチ(どこ行くか)末尾辞の -ti はベトナム語と同一なんでアリマス。

■ まっつぁん、トウトガナシではなく、なんとかいう奄美大島方言の「ありがとう」を紹介しておられましたが、アレ、何でしたか。過去ログをあたってみたのですが、キカイ・オンチのオレの実力ででは引っぱりだせません。
 いずれにしろ、奄美大島に二つ(以上)のアリガトゥがあるということは、すくなくとも沖縄の言語はシマごとで発達してきたことを物語っているかと思います。
 そしてこのことはただちに、「沖縄語」ということの概念把握に深甚なワク枷をやらかします。
 ひるがえっておもえば、日本列島の周りが海であることが、日本語を考えるうえで極めて重要になってくるようです。

[6420] 紀氏と百済  キノ 2012/03/11(Sun) 08:28 [Reply]
神奈備さま、素人の質問で度々すみません。坂本龍馬らが紀氏で吉田松陰が百済聖明王の子孫と書きましたが、紀氏と百済王家が同族である可能性がありますか?例えば木羅斤資は百済王家と関係しませんか?

[6419] 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/10(Sat) 13:25 [Reply]
 まっつぁん、)ウガミドゥサ(奄美大島弁 ; お久しぶり」
奄美出身の超美人・わがシセリヤ姫の解説によれば「ウガミリョーサ(奄美大島弁 ; お久しぶり」とは、「ウガミ(拝み・・・相手の顔をおがむこと) do:(遠)サ(であることよ)」・・・・・すなわち「遠い」とは「間どおい」ということ。「ひっさ拝まなかったね」という意味だとか。

 ■ もう3年前ということになるのかナ、沖縄のキジャハ方言をあたったときは、ウチナンチューはツ , tsu という音をきわめてニガてにしている・・・・・との印象を強く受けけましたが、こんかいは借用さきの日本語の「ぞ,zo 」という発音を云えなかったのではないかとの疑念をつよく持つにいたりました。沖縄では日本語の「ぞ」は法則的に「ド、ドー」になるのではないでしょうか。
たとえば「これぞ我が身の誉れ」は「これドゥわが身の誉れ」とか「最後の一戦ぞ」は「最後の一戦ドゥ」、「おれぞ」は「オレどー」のようになるのではないかと、カンぐります。
 ヘンなことを書き始めましたがワケがあります。
 同じく奄美大島弁の「アリガサマリョータ(ありがとう)」を分析するとき、ここはどうしても「リョー」の原音は *do: でないと納まりがつかないと思えるからです。ここを、例によって事実無知のままヤミクモに薮こぎさせてみて下さい。
 そこでさっそく「アリガサマ△△・・」を分析したいのですが、その前に伊計〜宮古〜平安 島に残っている「イヤビンド(入るヨ)」、「ケヤビンド(帰るヨ)」を眺めおく必要がありそうです。
 イヤビンドも、ケヤビンドもともに IR(入る)、KHER(帰る)の原音 IR, KHERの R が法則的に Y と訛って 、且つ即刻IYA ,KEYA へと開音(-a づけ)された語形だと判ゼられます。
 「ビンド」とは 原音 「bir-ぞ」であり、 bir とは英語の BE動詞の be(在る)であり、気仙沼〜三陸の「◯◯だベッチャ」の「 ber だと思われます。bir とか ber は世界規模でいえば「です」ですだべっちゃ。◯
 前後したようですが「ーぞ」とは強調を伝える語末辞で、この点、朝鮮語日本語の「・・・ta, da」とも同列語でしょう。
 (そしてイマイチ、 強調の -da が法則的に -ya に換わることもおニラミおきください)。「
そうなるんだ」でもいいし、「そうなるんや」でもいいわけです。そして、強調が出たついでに、ベトナム語の -ma が強調辞であることも、ここでつけ加えておきます。サマ」の ma です。
 イヤビンドとは「入るぞ」です。「ケヤビンド」とは「帰るぞ」です。

 さてお待たせ。 
 日本語がワーワー入ってきて人口が凋蜜化し都市化してくると「ドォー」が昔ながらの強調だとは云えなくなる事態が発生します。「ウガミドゥサ」の普及によって「ドォー =遠い」がまぜくるのです。
「アリガ・・」までハッキリ聞こえて頭まで下げられたんじゃ、聞く人は「有り難う」としか聞かなんです。
 そして奄美大島弁の「アリガサマリョータ」は前述のように「アリガサマドー」でもよかったはずです。いや、始発は「アリガサマドー」だったと思います。

 だから、「アリガサマドー」があちこちで喋られるうちに「有り難味」が薄い、「有り難た味に疎遠だ」という解釈があちこちで生じてきて、世の中が皮肉屋だらけになる!!
 そこで「ドー」を「リョー」へと捻くれた音hと変えた。ドジャ。

 ところで、坂本竜馬もヨメさんの “竜 ” もリョウマ、おリョウと呼ばれた。だれぞ、この屈折がわかる人、いないかね。

 

[6418] Re[6415][6412]: トイレの神様  神奈備 2012/03/10(Sat) 08:43 [Reply]
> べんじょがみ=便所紙
>
> 誤解を招く、
>
> トイレの神が判りやすいですね。

厠神と云うのが雰囲気がでます。川の上に作ったトイレは水洗式です。朱色の矢が流れてきたりもするようですが・・・

[6417] Re[6416]: 「日本三大」明星神社・・・てあるんでしょうか  神奈備 2012/03/10(Sat) 08:43 [Reply]
3月7日の そ(八筒光) さんの投稿に、
> 「日本三大甕星(明星)神社」となるとやはり

@茨城県日立市大甕町6-16-1 大甕神社
A愛知県稲沢市国府宮1-1-1 尾張大国霊神社
B大阪市住吉区住吉2-9-89  住吉大社

をあげていました。ご本人の要請により消去しましたが・・。
ただ、Aについては、出雲を無視できないとして、出雲大社をいれていました。

出雲を持って来たのは慧眼です。
 『出雲国風土記』楯縫郡の條に、「神名樋山。峰の西に石神がある。高さは一丈、周囲は一丈である。そこに行く傍らには小さな石神が百余りもある。古老が伝えていうには、『阿遅須枳高日子命の后の天御梶日女命が、多久の村までおいでになり、多伎都比古命を産み給うた。

 とあります。天御梶日女命は天津甕姫ですから、天津甕星は阿遅須枳高日子命と言えるのでしょう。

阿遅須枳高日子命を祀る有力神社を三つあげるとしますと、

陸奥(磐城)国 白川(東白川)郡 都々古別神社
大和国 葛上郡 高鴨神社
出雲国 神門郡 阿須伎神社

あたりでしょうか。

[6416] 「日本三大」明星神社・・・てあるんでしょうか  でんごろう 2012/03/09(Fri) 19:57 [Reply]
神奈備さまへ、ご質問があります。
先日まで「掲示板」にちらっと出ていましたように思えましたが
大甕神社以外に「日本三大甕星神社」というのはあったでしょうか。

もしくはそれ以外に金星信仰に縁が深い霊地というのは存在するのでしょうか。
またそれをあげると「三大」に匹敵するのはどこでしょうか。

[6415] Re[6412]: トイレの神様  多美 2012/03/09(Fri) 17:33 [Reply]
>  群馬県吾妻村六合村では、便所神を 烏枢瑟摩明王(ウスサマ)と言うようです。

便所神の話は、隣の長野原町史にあったように思います、

なお、六合村は現在中之条町に編入されました。

しかし、

べんじょがみ=便所紙

誤解を招く、

トイレの神が判りやすいですね。

[6414] Re[6413]: 無題  神奈備 2012/03/08(Thu) 15:54 [Reply]
 これらの件については、席亭は門外漢です。
 どなたか、お知恵をお貸し下さい。

[6413] 無題  キノ 2012/03/07(Wed) 19:11 [Reply]
はじめまして。名草の神々等、興味深く拝見しております。少し質問させてください。坂本龍馬・西郷隆盛・明治天皇の生母(中山慶子)・楠木正成は紀氏、高杉晋作は孝元天皇の子孫のようですが、明治天皇の南朝正統論と何か関係がありそうですか?中岡慎太郎の出身地北川村(奈半郷)には、かつて紀氏の荘園があり紀貫之の親戚が住んでおり、武内宿禰やその子孫を祀る多気・坂本神社(坂本臣は紀氏の後裔)があり、北川風土記にも「き族」が住んでいたと書かれています。また吉田松陰が百済聖明王皇子の子孫(多々良氏)、毛利氏・桂小五郎・大隈重信らは天穂日命の子孫(土師氏)等の事実と王政復古との関係はどうでしょうか?

[6412] トイレの神様  神奈備 2012/03/03(Sat) 17:02 [Reply]
 群馬県吾妻村六合村では、便所神を 烏枢瑟摩明王(ウスサマ)と言うようです。
 福岡県相ノ島では、厠神を、ウツシバミョウジンと呼ぶようです。ウツシバは烏枢瑟摩か?

 『竈神と厠神』飯島吉晴 講談社学術文庫 から

[6411] Re[6410][6402]: 『保元物語』  神奈備 2012/03/01(Thu) 13:53 [Reply]
 ところで、首里城東側に「美福門」と呼ばれるかつての外門がありますね。平安京と同じ名の門が存在すると言うことは「得子」との関連がありそうですが、この門は国王就任の際に「御内原(オウチバル)・大奥のようなもの」への入城ルートとなっていたようです。

オウチバル
テンペストでしたか、NHKのドラマで出てきていましたね。



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