天王社・橘寺

奈良県明日香村橘 mapfan


天王社

本殿はない。神木を囲う。

交通案内
近鉄吉野線岡寺駅から西へ30分



橘寺 仏頭山上宮皇院菩提寺


橘寺の由緒
   天台宗。本尊は聖徳太子坐像。

 聖徳太子建立の七寺の一とされる。河内の野中寺弥勒像の銘の「橘寺智識」に比定される。 『日本書紀』天武天皇九年に「尼坊に失火」と記載がある。

 欽明天皇の別宮である”橘の宮”の地に奇瑞があり、宮を改造して建立。

 橘の名の由来であるが、田道間守の持ち帰った橘の木を植えた地であたあと云う。

橘寺発行の『橘寺と聖徳太子の昔ばなし』から

垂仁天皇から不老長寿の元になるものを探すように命じられた田道間守はあちらこちらの国を訪ねて探し歩きました。どこにも見つかりませんでした。所が、不思議な光景に出会いました。それは老人が若い娘に叱りつけられて泣いているのです。田道間守が話を聞いてみると、若い娘が母親で、老人はその息子であるというのです。母親は一つの実を示し「この子だけが酸っぱくて嫌だとこれを食べないのです。だからこんなに年を取ってしまったのですよ。」と云いました。
 それを聞いた田道間守は、おどりあがって喜び、その不老長寿の実のなる木を数本譲り受けて帰国しました。
 以下は記紀と似たような内容。


本堂 太子殿

弁財天

二面石
一面は醜く、一面はやさしい。


橘の木 背後の建物は本堂



塔の心礎は一辺約1.5mの方形造出しの中央に直径・深さ約9センチの円形を彫り込み、三方に添え木を受けるためと思われる半円形の穴を掘り加えたもの。
 河内西琳寺(羽曳野市)、野中寺、また法隆寺若草伽藍塔心礎と似た形式であり、橘をかたどったものではなかろうかと思われる。

塔の心礎

お祭り
 

大和の神々
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