清水山吉田寺
奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1q−1−23 its-mo
山門
交通案内
王寺駅から法隆寺方面行きバス 龍田神社前 南 600m
本尊
丈六阿弥陀如来像 0.09μSv/h
丈六阿弥陀如来像 寺院パンフから
由緒
ポックリ往生の寺として有名。
創建は古く天智天皇の勅願と伝えられ、本堂西側に天皇の妹君・間人内親王を葬るといわれる清水の古墳がある。
閑話休題 とんだ所に間人さん、この方、孝徳天皇の皇后でありながら、白雉四年(653)中大兄皇子は皇極上皇や間人皇后らを連れて、孝徳天皇を難波に置いてきぼりにして飛鳥に引き上げてしまった。孝徳天皇は恨に國位を捨て、そうして間人皇后に送って曰く。
舸娜紀都該。阿我柯賦古麻播。比枳涅世儒。阿我柯賦古麻乎。比騰瀰都羅武箇。
かなきつけ あが飼う駒は 引出せず 吾が飼う駒を 人見つらむか
当時、「見る」とは、男女相会うとの意味があり、孝徳天皇は中大兄皇子と皇后の仲を深く疑ったのである。天智天皇がなかなか天皇位に¥つかなかったのは、同母兄妹の性愛がばれていたからとの説が説得力がある。
「ぽっくり往生」の謂われ。
この寺は、永延元年(987)に恵心僧都(源信)が開基した。彼は母親の臨終の善知識となり、除魔の祈願をした浄衣を着せた。すると母親は苦しみもなく、安らかに称名念仏の中に往生の素懐をとげられた。
丈六阿弥陀如来の御前でご祈祷を受けると、長く病を患うことなく、腰・シモ・スソの世話にならず、延年天寿を全うできるとの霊験があるとされる。
本堂
多宝塔
本堂西側の鳥居
本堂西側の祠
大和の神々
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