大穴持神社
御所市朝町宮山112



朝町の登り口の遙拝所
 

山への登り口の一の鳥居


交通案内
近鉄吉野線吉野口駅より南西1.5km 県道215号を西へ、八紘寺を過ぎてすぐ左側の畦道へ(看板あり) mapfan

二の鳥居


社殿


御神木のウラジロガシ



祭神
大己貴命

摂社 阿須伎彦根命神社、事代主命神社、阿須伎速雄命神社、高照比賣命神社

由緒
 創建の年代は不詳。式内社である。本殿がなく、拝殿背後の板囲いの中にカシとツツジの木を神体として祀っている。 元はサルスベリの木であった。自然神を崇拝する原始信仰を現代に伝えている。朝町の三輪明神である。

『続日本紀』天平宝字八年(764)に述べられている、土佐から戻った高鴨神は、当社の主祭神である大穴持神のことである。土佐から還ってきた神について を参照して下さい。

 唐傘山に登っていくとタタラ製鉄の跡が点在していると言うが、確認はできなかった。この山の西側には五百家(いうか)と言う字がある。朝町から五百家、こんな話が残っている。
 『日本書紀神武天皇紀』「高尾張邑に赤銅八十梟帥あり。此の類、皆天皇と拒戦はむとす。」
 高尾張邑に土蜘蛛あり。其の為人、身短くして手足長し。侏儒と相類たり。皇軍、葛の網を結きて、襲ひ殺しつ。因りて改めて其の邑を号けて葛城と曰ふ。」
 『青銅の神の足跡』谷川健一著によれば、朝町には銅山があり、鉱脈は五百家に走っていると言う。 五百家は金属精錬の「吹く」の伊福部の転だあろうと指摘している。五百家は風の森に近く、高鴨神社にも近づいて来る。

 土蜘蛛は朝鮮語でヒキ、ヒキガエルは侏儒の変身であり、土蜘蛛のこと。『日本書紀』を記述した渡来人が、縄文の流れの民人をあげつらった言葉は土蜘蛛であり侏儒であったのだろう。

 摂社群に鴨族の祖神が並ぶ。

阿須伎彦根命神社、事代主命神社

阿須伎速雄命神社、高照比賣命神社

 

お姿
  標高322mの唐笠山中腹に鎮座。この山の頂上に磐座があるとの事である。鎮座する山は三輪山に似た神体山である。
 麓からの参道はコンクリート舗装であるが、両サイドに溝があり、水が絶えないようである。 苔が一面にむしている。歩くのがもったいない程である。隅の方を通ると、鳥居がある。それからが長い。


社景

唐笠山の磐座
神社背後の道を約20分程登る。頂上付近。中央に十一面観音像が刻まれている。



お祭り
例祭 10月6日


水泥古墳
 神社から降って南側の古瀬集落に行くと、今木の双墓と呼ばれる水泥古墳(北と南)がある。一つは個人のお庭にあり、もう一つは道沿いにある。本来は事前にお願いをしてから訪ねて行くべきなのだが、突然飛び込んだのであるが、快くで見せていただいた。丁寧に清掃され祀られている。

石室内部 全長13.4m、玄室長5.6m、幅3m、高さ3.45m、羨道長7.6m。


出土品 古墳の石の蓮華文は仏教を信仰していた人を埋葬したものか。


大和の神々
神奈備にようこそ