木殿神社
奈良県橿原市城殿町166 mapfan

鳥居

交通案内
近鉄橿原線畝傍御陵前駅 東北800m



祭神
天兒屋根命、素盞嗚命



由緒
 万葉集には新益京藤原宮への遷都に因んだ歌が収録されている。巻一五十番。
 
藤原の宮営(つく)りに役(た)てる民のよめる歌
 やすみしし 我が大王 高ひかる 日の皇子    
 荒布(あらたへ)の 藤原が上に 食(を)す国を 見(め)したまはむと    
 都宮(おほみや)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに    
 天地(あめつち)も 依りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の国の    
 衣手の 田上(たなかみ)山の 真木さく 檜(ひ)のつまてを    
 物部(もののふ)の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ    
 そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らに    
 鴨じもの 水に浮き居て 吾(あ)が作る 日の御門に    
 知らぬ国 依り巨勢道(こせぢ)より 我が国は 常世にならむ    
 図(ふみ)負へる 神(あや)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に    
 持ち越せる 真木のつまてを 百(もも)足らず 筏に作り    
 泝(のぼ)すらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながらならし
   
   右、日本紀ニ曰ク、朱鳥七年癸巳秋八月、藤原ノ宮地ニ幸ス。八年甲午春正月、藤原宮ニ幸ス。冬十二月庚戌ノ朔乙卯、藤原宮ニ遷リ居ス。

 藤原宮の造営にも既に近江の田上山の木々が使用されたように読める。その昔は檜の繁茂する山であったと云う。 特に奈良時代の寺院建築に大量に伐採されたようだ。
 また水晶などを産すると云う。

 木材は紀の国からも運ばれたのであろう。『古語拾遺』には紀の国の忌部氏の大工が神武帝の橿原宮を建立を行っているが、植樹神五十猛神の伝承が形成されたのもこのような実績からだったのではないか。

 なお、近江にも大屋神社が鎮座、紀の国の伊太祁曽神社と双璧。

 当木殿神社の祭神に素盞嗚尊の名が見える。五十猛神の父神とされており、木材の用途を定めたと云う。

本殿


お姿
 平成15年の9月上旬は猛暑であるが、蝉(つくつく法師)の声を聞きながら、曼珠沙華を見ることができた。社域は広くないが、落ち着いた神社。

お祭り
 10月 9日 秋季例祭

参考

大和の神々
神奈備にようこそ