忍坂坐生根神社
(おしさかにいますいくね)
桜井市忍坂871 mapion


拝殿

交通案内
近鉄大阪線朝倉駅 南西へ15分 栗原川東側外鎌山裾

祭神
少彦名神

由緒
 式内大社の忍坂坐生根神社。背後の宮山を御神体とする。 拝殿北に磐座があり石神と云う。
 三輪の超小型の雰囲気であり、地元の語り部のような老婆も三輪の神の御子神であることを誇っておられた。

 忍坂には天智天皇・天武天皇ら父の息長足広額天皇(舒明天皇)の墳墓とされる古墳がある。 すなわち息長氏の大和での拠点のひとつであった。 西側に神武天皇伝説の鳥見霊畤の候補の一つである鳥見山があり、その東が安倍であり、神功皇后の磐余宮の伝承もある地である。 忍坂は安倍地域の後背地としての墳墓の地域であったと言えるのかも知れない。隠り国にふさわしい長谷の地に見える。

 この地から真西に河内まで出ると太子町であり、科長神社が鎮座している。 王陵の谷の磯長谷の奥である。科長神社は二上山上の風神を祀っていた神社を土祖神社に遷座して覆い被さったものである。 土祖神社の祭神は息長宿祢・葛城高額媛で、息長足姫(神功皇后)の両親とされる。やはり息長氏の拠点と言える。
 科長の書くから「シナガ」と読むが、元々風の神は古事記では志那都比古神で、「シナ」である。 息長は「オキナガ」と読まれるが、「オキナ」かも知れない。

 忍坂は今は「おっさか」と読むが、これが「オキナ」の変化以前か以後かは定かではないが、この地も風の吹き抜ける谷間であり、 息長氏の金属精錬の場所であったものと思われる。

お姿
 山沿いの古道に面する。拝殿の前に小さい鳥居がある。 神仏習合の残存を示す石碑が道路側に建っている。

拝殿

お祭り

秋季大祭 10月17日 2日間

大和の神々
神奈備にようこそ