宗像神社(むなかた)
桜井市外山818 mapfan

鳥居



交通案内
近鉄大阪線・JR桜井線桜井駅南 165号線東へ25分 外山北側

祭神
田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神

由緒
 式内大社。天武天皇第一皇子の高市皇子の母が胸形徳善の女の尼子娘であり、外戚の氏神として祀られたと云う。

 祭祀を司ってきた高市皇子の後裔の高階義岑は、南北朝の争いの際吉野朝に与したのであるが、宗像神社は兵火にかかり、神宝も失われたと云う。 以降、神社は荒廃するままであった。
 安政年間、国学者鈴木重胤が再興に努力し、筑前宗像大社より祭神を再度勧請したと言う。

 天武天皇の出自や近江王朝からの皇位の簒奪に九州の豪族がからんでいた名残を示す神社であろうか。 神武東征、応神東征の経路には天武天皇軍の動きが反映していると言う。 おそらく大化の改新や壬申の乱などで古い記録は失われてしまい、天武持統の時代に再構成されたのが記紀であろう。 それ以前までの各豪族の抗争が神話の形となって記録されたのであるとされる人もおられる。一考に値する見解である。

拝殿

お姿
 道路に面して杜が現れる。周辺はゴルフ場や火葬場など俗気の雰囲気だが、ここは流石に落ち着いた神社の杜である。 三殿の本殿はあまり威厳がなさそうに見えるが、肩をよせあって慣れぬ大和の山裾に鎮座されており、いじらしいい。

本殿

お祭り

秋季大祭(頭屋渡し) 10月17日 2日間

大和の神々
神奈備にようこそ