添御縣坐神社(三碓)
奈良市三碓三丁目5ー8



鳥居と祭りの準備


交通案内
近鉄奈良線富雄駅 南700m mapion

祭神
建速須佐之男命
武乳速之命
櫛稻田姫之命


由緒
 延喜式内社である。御神体とする御正躰の鏡の裏に、中央の間は八王子、向かって右の間には牛頭天王、左端の間には婆利采女と刻銘がある。 牛頭天王と婆利采女はそれぞれ速須佐之男命、櫛稲田姫之命の仏教的な呼び名であるが、中央の間の御正躰に八王子と刻銘のあることは、修験道との関連をも推察させるようであるが、明らかでない。
 添御県坐神社については、延喜式神名に、添御県坐神社 大新嘗月次 と記され、また延喜式祈年祭に御県尓坐皇神等乃前尓白久、高市。葛木。十市。志貴。山辺。曽布登、御名者白弖。此六御県尓生出甘菜辛菜乎持参来弖。皇御孫命能長御膳能遠御膳登聞食故。皇御孫命能宇豆乃弊帛乎称辞竟奉久登宣。と見えている。
 御県は倭王朝が古く設定した王領で、上記の祈年祭の祝詞に見えるように、大和の六御県からは、甘菜辛菜を貢納しており、御県の地の民等がまつった神を、御県神としてあがめるようになったと云う由緒正しい古社である。

 この地は鳥見と添上の境界に当たる。物部氏や長髄彦の本拠地とされる磐船街道沿いの北部と南部を分断する要所になる。 倭王権が直轄の御縣を設けたのもうなずける。 
 上鳥見の鎮守が長弓寺内の伊弉諾神社、下鳥見の鎮守が登弥神社で、当神社は中鳥見の鎮守であり、かっては牛頭天王社であった。

 なお論社として、奈良市歌姫町に同名の神社が鎮座している。

お姿
  富雄川東方の小高い丘の麓に鎮座、本殿は五間社流造で、雨をしのぐように覆われている。

本殿


お祭り
例大祭 10月 第3土曜日と翌日


*1 日本の神々4(土井 実)白水社
*2 寺院神社大事典(大和紀伊)平凡社

大和の神々
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