添御県坐神社
奈良県奈良市歌姫町999


鳥居と社域

交通案内
バス歌姫町 北へ300m mapfan

祭神
速須佐之男命 配祀 櫛稻田姫命、武乳速命


由緒
 添上郡の同名の式内社に比定されている。論社は三碓町(みつがらす)の同名社であり、『大和志』は三碓町、『大和志料』は歌姫の当社、理由は三碓町は往時の鳥見庄にあり、鳥見の名は著名であり、よって鳥見御県神社とでも命名されていたのではないか、また鎮座地を御県山と言うことなどをあげている。

 御県神社は『延喜式祝詞』のい「御県に坐す皇神等の前に曰さく、高市、葛木十市志貴山辺、曽布と御名は曰して、この六つの御県に生り出づる、甘菜・辛菜を持ち参ゐり来て、皇御孫の命の長御膳の遠御膳と聞こしめすが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称辞竟へまつらく」とあるように大和には六つの御県があって朝廷への菜を調進し、御県神が祀られていた。

 祭神の武乳速命は津速玉命の御子で、添の御県地の祖神と言う。



拝殿


お姿
  鎮座地は大和平太を南北に縦貫する下つ道の北端にあたり、木津川水系と大和川水系との分水界に祀られている。水分の神でもあり、境の神でもある。

 万葉集巻三 三〇〇 に長屋王寧樂山に馬を止めての歌として
 
佐保過ぎて 奈良の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ

 また菅原道真公が宇多天皇の吉野行幸に従った際の歌
 
このたびは 幣もとりあへず 手向山 もみじの錦 神のまにまに
 が読まれており、拝殿の前の石に刻まれている。

 本殿は東面していたが、郡山城主の参勤交代の際、神前を通るのを恐れ入って南向きに変更されたと伝わる。

 照葉樹林の社叢は見応えがある。拝殿のつくりは添上の佐保神社も含めて近江の拝殿に似ているようだ。



一間社春日造の本殿 宝暦五年(1755)以前の建立



お祭り

  10月体育の日前の土日  例大祭
   11月 28日 秋季大祭

『平成祭礼データ』『式内社調査報告』『寺院神社大事典』

大和の神々
神奈備にようこそ