天太玉命神社

奈良県橿原市忌部町153 mapfan

鳥居

交通案内

近鉄大阪線真菅駅 南1.3km 曽我川西側

祭神

天太玉命、大宮賣命、豐石窗命、櫛石窗命

拝殿




由緒

 延喜式内大社の太玉命神社に松下見林が比定するまでは忌部村の春日神社であった。
 天高市に擬せられる天高市神社の南すぐの地で、岩戸開きのシーンに中臣氏の祖の天児屋根命と忌部氏の祖の天太玉命がそろって神事を行い、天孫降臨にも五伴緒に名を連ねて、朝廷の祭祀を司る氏族として、宮殿の造営、祭器を造ることを職掌としていた。降臨以降、中臣氏の活躍はほとんど見えてこない。物部とともに仏教排斥に動いた程度、記紀の編集の頃の権力が藤原不比等に握られており、神話の中に天児屋根命を無理にはめ込んだように感じる。
 忌部氏は朝廷の祭祀氏族から徐々に弾き出され、ついにはゼロに到る。危機感を持った斎部(忌部)広成はその立場を表明せんとして『古語拾遺』を著した。
 興福寺の興隆で当地もその支配下に入り、ついには式内大社であった忌部氏の氏神でさえ、多分衰亡していたのであろう、春日神社にされてしまったと云う事。


本殿

お姿

 太玉命は殖産の神であり、この神社近辺には、ラブホテル、騒音の排出する工場、幹線道路と雑然としている。神社は埋もれてしまいそうな状況だが、この神社の存在は鎮守の森としても貴重。
 本殿は垣の中で見えにくい。楠木の神木がその中にある。


お祭り

 10月 9日 例祭


参考資料 『大和紀伊神社寺院大事典』、『式内社調査報告』、『日本の神々4』、『平成CD』  

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