入鹿神社

奈良県橿原市小綱町335 mapfan

鳥居 左に大日堂

交通案内

近鉄大阪線大和八木駅 西700m



祭神

素盞嗚命、蘇我入鹿

拝殿




由緒

 古くは牛頭天王社。『西国三十三所名所図会』には「蘇我入鹿の霊を祭る。」とある。
 素盞嗚尊と蘇我氏、出雲の須佐神社の横を素鵞川が流れる。また出雲大社の本殿真北に素鵞社があり、祭神は素盞嗚尊。
 門脇禎二氏著『出雲の古代史』によれば、6世紀中葉から1世紀間、大和王権は蘇我氏によって主導されており、この頃に吉備西部から出雲へ王権が進出している。須佐の地は神門川に通じ、東には産鉄地域の横田にも便利であり、西部出雲と奧出雲を睨む格好の拠点であり、蘇我氏がここに拠点を設けたものと推定している。またここの地主神であった須佐之男神の名は大和にも聞こえ、記紀神話の中に出雲を代表する神として把握されたのであろう。

 遷宮の祭祀を執行する法隆寺の坊中善住院の老僧を請招す。これによって老僧かしこに至りて其の神体を納むるにおよび、其のしなをあらたむるに、霊照女を画きたる一幅のかけ物にて、上に一休の讃あり。其の讃曰く、馬祖大師にだまされ宝を満水に沈めし阿居士が娘なり。いと、奇なることと老僧のかたられしよし、聞いた友が語ったそうだ。神体がなかった所に、かけ物を入れて置いたのを神体と誤解したおはなし。

木々の隠された本殿

お姿

 鳥居の前は狭い。
 北側に大日堂がある。堂は文明十年(1478)の建築で方三間寄棟造、本瓦葺、前面一間を礼拝堂とし、後方二間の内陣。後方寄りに四本の柱に囲まれた厨子を設け、本尊を安置している。
 簡素な堂であるが不要な飾りは一切しりぞけて間取りなども実用的に作られている点がかえってゆかしく風格ある建物である。
 本尊大日如来座像は鎌倉時代の作、木造漆箔、高さ1m34,大日堂とともに重要文化財の指定をうけている。

 本殿は一間社春日造で、神舎は丸柱、柱上に三斗を組み、背面を除く頭貫桁間に中世風の面影を残す蟇股を置く。屋根は檜皮葺で、棟は箱棟に千木、かつお木を取り付けた江戸初期位の建物である。
 尚、近年老朽化が進み、昭和六十一年度に解体修理が行われた。

背後から見た本殿


お祭り

 10月 26日 例祭


参考資料 『大和紀伊神社寺院大事典』、『平成CD』  

大和の神々
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