天高市神社(あめのたけち)

奈良県橿原市曽我町659 mapfan

鳥居

交通案内

近鉄大阪線真菅駅 南東1km 曽我川東側

祭神

事代主命 配祀 品陀別命、息長帶姫命、比賣神



由緒

 『大和志』に、「曽我神社南、今(享保年間)入高市八幡と称する。」とあり、続いて「天岩戸を開くべく八十萬神の会合した天高市」に比定しているのは面白い。
 『神名帳考証』では高市県主の祖神を祭神としている。誓約で生まれた五男神の天津彦根命と云うことになる。

拝殿


本殿

お姿

 曽我川を渡り高速をくぐると小振りだがこんもりした濃い森が見える。どうやら神社らしい。 あぜ道を通って行って見たがどうも登り口がなく、結局大回りをして新興住宅地を抜けて神社前についた。 鳥居をくぐって右側に稲荷神社、境内の砂には帚目がついていて清められる。 拝殿の背後が先ほどの森で本殿が鎮座。


お祭り

 9月15日 例祭

 本神社の由緒沿革については、詳かではないが、『三代実録』によれば、第五十六代清和天皇の御代、貞観元年(八五九年)正月二十七日に、大和国天高市神に従五位上の神階を授け奉る(「奉授大和國天高市神從五位上」)との記事がある。又、延喜の制により名神大社に列せられ、月次・新嘗の官幣に預っており、古くより朝野の信仰も篤く格式の高い神社であった。
 しかし星霜うつり、中世から江戸期の頃に至って本神社は、八幡社と称したもののようである。現在の境内に、安永六年(一七七七年)当村中より奉納の石燈篭に八幡宮と銘したものが二基ある。
 明治四十年九月告示により指定村社となる。  祭神は、事代主命(えびす様)一柱を祭祀してきたが、後世になり品陀別命(応神天皇)・息長帯姫(神功皇后)・比賣神の八幡三柱を合祀して四柱とし、尊崇してきたもののようである。
 なお、本神社の境内地は、古くは一町歩余と伝えられるが、明治初年には、一千余坪で第一種官有地となった。さらに、終戦後、宗教法人法の制定により上記官有地は昭和二十五年六月に宗教法人天高市神社に対し無償譲与となり現在に至る。
 以上


参考資料 『大和紀伊神社寺院大事典』、『式内社調査報告』、『大和志』、『平成CD』  

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