伊射奈岐神社
天理市柳本町1898


鳥居と社域

交通案内
JR桜井線柳本駅 北東へ500m mapfan

祭神
伊射奈岐神 配祀 菅原神

摂社
稲荷神社「宇迦之御魂大神、太田神、大宮比賣命」
建勲神社「織田信長」ほか


由緒
 城上郡の同名の式内社に比定されている。 楊本天神と称されている。文明十七年(1485)には現在地に鎮座しているとの文献があるが、その前には南東山手の伝崇神天皇陵の南側に鎮座と伝わる。社前の掲示板では、崇神天皇の御代に創建とあり、寛永十八年(1641)に二代目柳本藩主織田修理正長公がこの地に遷されたとある。 また、掲示では日本武尊が東国征伐の出陣に際し、弟橘比売命を迎えて間もない命は我が身を按じ当神社で戦勝祈願をして伊勢へ出立したと言う。 恐らくは不明となっていた式内社を天満宮に合祀したもの。
 寛正二年(1461)興福寺大乗院主尋尊が参詣している。興福寺領になっていたのであろう。

 『大和志』では、在所未詳としながら柳本の三輪祠かとしている。江戸時代には柳本藩主織田氏の崇敬を受けたようで、建勲神社はその頃に勧請されたのだろう。



拝殿


お姿
  鎮座地を伝崇神天皇陵の陪塚の一つである天神山古墳というようだ。 神社の最高地点は国道169号線沿いの鳥居と言うこと。
  実は、この神社は文献上からも、また地図(昭文社ニューエスト)にも記載がない、影の薄い神社であるが、参詣してみて驚いたのだが、社域の木々も大きく、また境内もきれいになっており、摂社にも神社名や祭神が記載されている。大和の奥深さを改めて感じた次第。



本殿



お祭り

 『平成祭礼データ』 10月14日 例祭




建勲神社と稲荷神社
 

大和の神々
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