十二神社(じゅうに)

天理市竹之内町65

交通案内
山辺の道沿いの乙木町の夜都伎神社の南東500mの山中 竹之内環壕集落へ行く道より北側の道を東へ its-mo

祭神
國常立尊、國狹土尊、豐斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸道尊、大戸邊尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉册尊、大日貴尊


二の鳥居と拝殿


由緒
 山辺郡所属の式内小社夜都伎[ヤツキ]神社の他の論社の一つ。他には天理市天理市乙木町の夜都伎神社、天理市田井庄町八剣神社がある。
 口碑によると、乙木の産土神であった式内社の夜都伎神社の社地と竹之内の三間塚池(現十二神社の地)と交換したという。
 社地の交換とはゆゆしい事である。、村が分割されて氏子地域のねじれが生じたとか、重大な事があったことに加えて、権力者(社)の意向が働いたと思われる。 夜都伎神社は昔から奈良春日大社に縁故深く明治維新までは当社から蓮の御供と称する神饌を献供し春日から若宮社殿と鳥居を下げられるのが例となっているほどであり。 藤原氏か春日大社の何らかの意向があったのであろう。

 竹之内には白山神社もあったが、当社に合祀されている。石灯籠には「白山権現社」と刻銘のものがある。他に多賀神社と彫った石柱もある。


お姿
  柿畑の小道を通って尾根の突端の明神山の山裾にとりつく。尾根の突端の山を神奈備山と云うと竜田大社の摂社の端山に鎮座の神奈備神社の説明板に書いてあった。 明神山に一歩踏み込めば手水舎と鳥居が見える。
 朱色の二の鳥居をくぐると拝殿、本殿がある。拝殿の前に神石があり、参詣の時には「わっはっは」と笑って三周する風習があるそうだが、小生は知らなかったのでやっていない。 このHPを見た後で参詣される方は是非やってください。

拝殿と神石(写真右下)



本殿

 夜都伎神社は八劍神社の呼称の変化ともされる。八劍神社や出雲建雄神社の創祀譚として日の谷の地名が語られる。
創祀譚 神代の昔、素盞嗚尊が八岐の大蛇を退治されたとき、大蛇が身を変え天へ昇りて水雷神となって神剣に扈従して布留川上日の谷に天降り臨幸して鎮坐す。 この日の谷は布留川の水源の一つでもある天理市長滝町の霊山の北側の谷とされているが、この十二神社の北側すぐが火の谷と呼ばれていたそうです。
 これは大和のアマチュア考古学者さんのメールで知りました。 以下に概要と地図を示します。

概要 天理市乙木の夜都岐神社から南東に十二柱神社というのがあってその北側一帯を「火谷」というそうです。天理市史の別冊(資料編)に掲載されていましたから間違いないと思います。
 奈良県内の小字を調べられるのでしたら、橿考研附属博物館の資料コーナに「奈良県条理復元図」(だったと思います)と云う分厚い本がおいてあります。


お祭り

例祭  10月14日 宵宮祭
例祭  10月15日

大和の神々
神奈備にようこそ