都祁水分神社(つげみくまり)
奈良市都祁友田182 mapfan


鳥居


交通案内
近鉄・JR天理駅から針インター乗り換え、榛原行きバス水分前下車
近鉄榛原駅から針インター行きバス水分前下車



祭神
速秋津彦命
境内社 水分神社「天水分神」、水分社「大國魂命」、大国神社「天久比奢母智神」、御霊神社「祭神不詳」、国津神社「大國魂命、大物主命」



由緒

 山口神社とともに山辺郡所属の式内大社。古代の都祁は朝廷から重要視されていた。友田宮、水分宮と呼ばれている。 風雨祈願の神として尊ばれ、現在でも雨乞いの時には火種を水分さんからもらい、ダケヤマでドンドを盛大に燃え上がらせると言う。
 小さい盆地に当たり、湿潤地が多く農耕に適していた。まや焼き畑農業や狩猟も盛んで、打石器、石鏃類が各地から出土している。
 水分神社の南2kmの小山戸に都祁山口神社が鎮座する。縁起に、二匹の白龍の一つが宇陀水分神となり、もう一つが小山戸庄高山に飛び降りて都祁水分神となったとある。水分社の元宮は山口神社と言う事である。 道路狭隘ゆえ鞆田庄に改めて水分神を祀ったとされる。 このため小山戸の社を上山宮、鞆田の社を下山宮と呼ぶ。

 都祁村の南に桜井市の芹井[せいりん]、白木と言う地域がある。芹井は芹井物部の子孫の居住する地域であったといわれる。また白木は新羅の王子天日矛が新羅城を築いたと言う。

 都祁から柘植この広い地域を邪馬台国の都支(闘鶏)の国に比定する事もできよう。 都祈は漢音でトキ、呉音ではツゲと発音する。また小山戸はオウヤマトであり、ヤマトである。天日矛が邪馬台国の主宰者とすれば、この地域がキイを握っているように思える。



お姿
  本殿は一間社春日造檜皮葺で室町中期建造である。多くの木々の杜に囲まれているが、平10年秋の台風の直撃を受けて、社域の木々も多く倒壊しており、鬱蒼と言うよりは、明るい杜になっている。


境内


本殿



お祭り

1月 3日 勤請縄掛
7月 9日 夏祭
8月31日 つごもりごもり
8月 下旬 風鎮祭
10月25日 2日間 例祭

大和の神々
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