葛城二十八品 第十六品



 南海電鉄橋本線 天見下車 西の流谷八幡神社経由  
八幡神社 河内長野市天見2211番地(弁天山)mapfan  
祭神 應神天皇、玉依姫命、息長帯比売命  
勧請杉あり、1月6日 志米縄掛祭が行われる。勧請杉と大銀杏の間。半年くらいで切れてしまうようだ。


全景

鳥居と拝殿


 江戸末期、社殿焼失、古文書も焼失したようで、由緒等を知るに由なし。
 それでも社前の説明板には、鎌倉時代に石清水八幡宮からの勧請であること、重要文化財に指定の鉄製の湯釜は延元五年(1340)の製作、など。

本殿


 八幡神社の前の川に沿って更に上流に進む。電信柱の足下に「流谷金剛童子」の立て札が右手に見える。公衆電話ボックスと並んでいる。電話ボックスの手前から下の田舎道に降って行く。mapion  

標識、公衆電話ボックス手前から
 

 道の進行方向の山裾に墓が幾つか建っており、猪垣のトタンが見える。丁度正面の墓とは直角方向の山中に経塚がある。道からは見えない。下の山の写真で言えば、竹藪の左横付近の山中に経塚がある。

経塚のある山


 そこへは右側から回り込んでアプローチする。物置の方へ進み、途中で右に曲がる道が辛うじて判る。ここを道なりに行けば猪垣を乗り越えてから自然に左側に大きく曲がり、経塚と二体の石仏の祠に行き着く。民有地であるので、断ってから入山すること。

物置の向こう側に       途中で右に曲がって山中にはいる
 

経塚 如来寿量品第十六

二体の石仏の祠 経塚の碑
 

『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から

 流谷金剛童子   同国郡 ながれ谷村   

岩わき寺より山の半腹をゆくみちに古記にあるごとく所々川中に不動尊とて、大の石に   しめなど引はへて祭れり、みな役行者の御勧請のよしにて、これをこの里に、十六泉と   て、深く尊崇し奉るなり、また経塚は此童子ならんかといへり。   

妙  如来寿量品第十六之地   

 名にしおふ二八の水のなかれ谷法め煙りのたえすにほへる


 


参考資料  『葛城の峰と修験の道』、『葛嶺雑記』、『葛嶺回峯録』  

葛城二十八宿

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