葛城二十八宿 第二十一品



葛木神社 金剛山頂 奈良県御所市高天476


祭神 一言主命
  配祀 建角身命、大山祇命、豐受比賣命、素盞嗚命、大國主神、少彦名神、玉依比賣命、健御名方富命、後醍醐天皇、護良親王、楠木正成、楠正行

葛木神社拝殿

由緒 古代からの山岳信仰(神霊の鎮る所として畏怖崇拝する)があり、その神は葛木一言主神であり、従って山頂に祀られているということ。神社参道に雄略天皇との出合の地との標識があった。

 この山は神仙の山で、斉明天皇元年(655)、空中に竜に乗った青い油笠をかぶった唐人のような人が生駒山に飛び去ったとある。夕刻には住之江から西へ飛び去ったと云う。

 金剛・葛城の山の東は鴨氏の領域で、役小角の生まれ育った所でもあり、小角はこの峰々で修行をし、修験道場としたとされる。この小角と一言主神との諍いの物語がある。修験道の台頭で一言主神の影が薄くなったことを象徴するお話。一言主神は未だに呪縛されたままなのか。

葛木神社社殿

例祭 10月10日

福石 崇神天皇の時代、大国主神が出現した石

『平成祭礼データ』史跡金剛山


由来
この山は古来、葛城山または高天山(たかまやま)とも呼ばれていました。

日本書紀神武天皇の巻に、葛(かつら)の網をきせて土賊をおおい殺した云々に由来しています。更に時代が移り、天智天皇四年(今から約一千三百年前)役(えん)の小角(おづぬ)十六才の時(後の山岳宗教の開祖、役の行者または神変(じんべん)大菩薩と称される)、この山に登られ霊気を感得、長い修行の後、頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺(こんごうさんてんぽうりんじ)を建立され、ご自身の祖神、一言主神(ひとことぬしのかみ)を祀る葛木神社を鎮守としてあわせ祀られ神仏混淆の霊峰とされました。以後、真言密教の霊場として信仰を集め転法輪寺のお寺の山号である「金剛山」が略称のように使われ葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。

更に後醍醐天皇(今から約六百五十年前)に移ると、大楠公が金剛山転法輪寺の山伏勢力を利用し、わずか五百の兵で智略を使った結果、関東の五万の大軍を寄せつけなかった、千早城の要塞としても関わりの深いものが有ったと言われています。

明治元年には神仏分離の憂き目に遭い廃寺となっていましたが、昭和三十七年、浄財を募り、多数の方々のご協力により、見事に復興する事が出来ました。 時代は移りましたが、神仏習合の曼荼の霊場として蘇り老若男女、心身錬成の山として遍く輪を転じております。
   以上



金剛山転法輪寺 葛木神社から少し下がる 葛木山山頂西方

 開基は役行者と伝わる。金剛山寺が出来るまでは高間山・高天山・葛城嶺と呼ばれていたこの山は金剛山と云うようになったと云う。真言宗醍醐派の転法輪寺と云う。

 山岳宗教の霊地で、真言・天台両系の修験の地であり、明治まで女人禁制。

不動明王像

行者堂 本尊は役行者
御宝号(七反) 南無神変大菩薩(なむじんべんだいぼさつ)
御真言(七反) おん ぎゃくぎゃく えんのう
        うばそく あらんぎゃ そわか

転法輪寺 本尊 法起菩薩

『南遊紀行』貝原益軒 元禄二年(1689)

 名も高き葛城の高間の山是なり。甚高し。大峯の外、畿内にも、近国にも、是程の高山は見えず。絶頂に葛城の神社有。大社なり。一言主の神と云。役行者堂あり。今日はくもりて、山下遠く見えず。うらめし。山上より二町西に下れば、河内国金剛山転法輪寺あり。役小角開基なり。是山伏の嶺入して修行する所也。僧寺六坊あり。皆家作美大也。大和河内の農民、此神を甚尊崇し、社の下の土を少ばかり取て帰り、我田地に入れば、稲よく登(みのる)て虫くはずとて、参詣の人夥し。皆宿坊有りて、宿する者多し。檀那にあらざれば宿を借さず。





葛城二十八品 
如来神力品第二十一 湧出岳

 神社からケーブル駅方面へ向かう途中に左に登る無舗装の道がある。一分ほど登るとアンテナ塔が見え、その左側に第二十一経塚の石碑が立っている。

第二十一経塚の石碑

第二十一経塚の石碑と説明碑
 

 葛城二十八品の経塚
 役行者は、葛城の峰を仏法の世界と見立て、法華経八巻二十八品を、それぞれ経筒に入れて埋納したとされる。実際の所は末法思想とも連動、平安末期から鎌倉初期には設けられていたようである。場所は移動もしていて判らない所もあろうが、各地の修験者の会で整備されつつある。

『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から

 金剛山転法輪寺 和州葛上郡 真言 一乗院宮御末寺又名神祇宝山最上乗院

 本堂 不動尊 左脇に法起、右脇に蔵王、其余倶利迦羅、矜迦羅、制多迦、善財童子等すへて七尊 本堂の前に深蛇大王 開山堂に神変大士、東に三十八社、西北に大黒堂、南に求聞持堂、大宿坊の北に朝日のたけあり。
 今は大日か嶽といふ。大宿坊は大和国にあり、其余の僧舎皆以て河洲石川郡の地にあり。
○常行童子本地常滅、南方仏、河和国界朝日か嶽に鎮座し給ふ。
此尊号は、不退転修行の人を能護持し給ふの義又所名は和光利物の照影は、朝日の昇るかことならんと示し給ふの意。
○夜もすから常行し給ふかねの音に朝日かたけはいつもあけほの金剛山より、石寺にいたらんとなすみち、左りに入る、湧出のたけ塚有。
妙  如来神力品二十一之地
出給ふ仏ともなく神となく経とくきけは山彦の声

 

二十一品の場所は表忠塔付近
参考資料 『葛城の峰と修験の道』中野栄治 『葛嶺雑記』、『寺院神社大事典大和紀伊』、『日本の神々4』

葛城二十八宿

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