安房國6座:大2小4


安房郡[アハ]
:2座並小

安房坐神社[アハノ](名神大。月次新甞)
安房神社[あわ]「天太玉命 配 天比理刀命」吾谷山を背負う様に鎮座、境内から海蝕洞窟が発見され多数の人骨が出土した。安房忌部氏の一族とされる。千葉県館山市大神宮589 玄松子の記憶

安房の国一の宮安房神社略記
御本社御祭神(上の宮)
日本産業総祖神・天太玉命、相殿后神・天比理刀・命
御摂社御祭神(下の宮)
房総開拓の祖神・天富命(天太玉命御孫神)、日本武道祖神・天忍日命(天太玉命御 弟神由緒・神徳
房総半島の南端神戸郷に静まり座す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比 理刀・命を配祀として奉斎し、摂社下の宮に天富命をまつる。
延喜の制には名神大社に列せられ、安房全域を神都として有した全国屈指の名社であ る。本社の主祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に 重臣として奉仕し、政治・祭祀・農漁業・建築・金属工業等、諸産業の祖神を統率さ れた大力無双の神に坐す。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、大神の出御に大功を顕わされた。 房総開拓の神として下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられ神武 天皇の重臣に坐す。
天富命は、勅命を体して四国阿波国忌部族の一部を割いて海路東方に沃土を求められ 、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に 本拠地を定めて祖神天太玉命の社を建てた後、次第に上総・下総に進み房総半島に麻 穀を播殖しその産業地域をひろめられたのである。
安房神社の御祭神は、日本産業の総祖神として崇められ更に現在では交通安全、厄除 開運家内安全、商売繁昌等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。
置炭・粥占神事(一月十四・十五日)
一月十四日の夜、忌火をきり正月に用いた門松の松材で粥を炊き、その薪が燃えつき る頃おきを十二本取り出して並べ、その炭の色によって神主がその年の一月から十二 月の天候を占定する。
粥がにえる頃、すのこ状に編んだ十二本の葦の筒を鍋に入れ、そのまま一晩置いて、 翌十五日朝、鍋から取り出し神前に供し祭典の後、神主がその葦の筒を一本ずつ小刀 で割り、中の粥の入り具合や色つやにより米、麦、野菜等農作物の豊凶を占定する。 この神事は宝暦年間の神社旧記にも見られ古くからの神事である事がわかる。
宝物狛犬
文永元年(一二六四年)、日蓮上人四十二才の厄年に一週間安房神社にお篭りになり 兀々坐定して刀を振って狛犬を彫刻せられ、誓願成就の御礼の意味にて奉納されたも のである。


后神天比理乃命神社[ミメノアメヒリノヒメノ・]
洲崎神社[すのさき]「天比理刀命 配 天太玉命、天富命」神奈備型の御手洗山中腹に鎮座。千葉県館山市洲崎1697 玄松子の記憶
洲宮神社[すのみや]「天比理刀命 配 天鈿女命、天富命」千葉県館山市洲宮921 玄松子の記憶


朝夷郡[アサヒナ]:4座並小

天神社[・・]
下立松原神社に合祀 式内下立松原神社は2段跡に掲載。千葉県安房郡白浜町滝口1728 玄松子の記憶

莫越山神社[ナコシヤマ]
莫越山神社[なこしやま]「手置帆負命、彦狹知命」天富命は祭神の後裔を率いて木材を伐採し正殿を建てた。その末裔は紀伊国名草にある御木、麁香に住むとある。阿波国よりは紀伊名草の忌部一族が祭祀集団であったと推測されている。千葉県安房郡丸山町宮下27 玄松子の記憶
由緒
当社は、天正天皇養老二年(七一八)、勅願所にかかり地を賜る。神武天皇辛酉元年 、天富命は阿波の忌部を率いて、当国に下り給う。この時小民命、御道命の請により その祖手置帆負命、彦狭知命を祭祀し、延喜式に載する安房六座中小四座の一なり。
古語拾遺に曰く天照大神、高皇産霊尊が天児屋根命、天太玉命に勅令して、番匠諸職 の神々を天降された時にこの手置帆負命、彦狭知命を棟梁の神とされもろもろの工匠 を率いて、日向国高千穂櫛触の峰に行宮を造り、天孫(迩迩芸命)の皇居を定めた。 さらに神武天皇が大和国内を平定して橿原を都と定めた時、天富命が手置帆負命、彦 狭知命二神の裔の一族を率い、紀伊国名草郡御木、あらか郡より斎斧斎鋤を以て始め て山の材を伐りて宮城の正殿を造り、これがわが国建築のはじめとされる。更に神武 天皇の命により四国の阿波に赴き麻殻を殖培し、のち天富命は更に肥沃な土地を求め 、阿波忌部氏を率いて舟で東方に向かい今の房総半島に上陸し、水利と渡度、狐座、 御木の三官有林を中心とした豊かな山林に恵まれたこの地を開拓し故国の地名より安 房と称し定住し、それまで土着の民の祀っていた神体山の渡度山(莫越の山)に祖神 を祀り、また付近に莫越山神社を中心として、古墳時代後期には神祭が盛んに行われ ていたことを物語る東畑遺跡、石神畑遺跡、六角堂遺跡などが発掘されている。
社殿は、はじめ遥拝所として造られ、後世、里宮が建てられるまで山そのものを御神 体として拝祀し、万寿二年に再建され、さらに治承年中修造、天正七年、社殿修造莫 越山神社と奥の院、渡度神社修造の棟札もみられ、寛文九年再造、元禄十六年、大地 震により社殿倒壊を受け、寳永四年、時の領主酒井氏再建のち関東大震災により社殿 倒壊をうけ、氏子はもとより遠く県外よりも多くの浄財がよせられ、昭和二年、現社 殿が再建された。
古く地名に斎部屋敷、幣造谷、番匠屋敷、禰宜屋敷、御木舞原、神火屋敷、尋岡、馬 洗場都々井、神花屋敷、莫越澤などの地名も使われていた。
又、往古宮下を北限とした条理制遺構が字中之坪、字榎坪、字上八反目などの地割が 丸山川流域平野の奥に広がり式内社莫越山神社の存在を見るうえでの背景の一といえ る。

莫越山神社「手置帆負命、彦狹知命」天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命、彦狭知命を当社莫越山におまつりして、祖先崇敬の範を示した。千葉県安房郡丸山町沓見253 玄松子の記憶
由緒抜粋
神社の創立は、社記によれば神武天皇元年、天富命(安房神社の御祭神は天太玉命、 天富命ですが、天富命が忌部の祖神である天太玉命を現在の地に奉斎したのです。) が忌部の諸氏を率いて、安房の国に来臨し、東方の開拓をされたときに、随神として 来られた、天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命、彦狭知命を当社莫越山にお まつりして、祖先崇敬の範を示したとしるされております。 手置帆負命、彦狭知命の二柱は、皇国工匠の祖神で氏上天太玉命に従って其職を奉じ 、宮殿家屋器具機械の類をつくりはじめた神です。その神業はうけつがれて今日に至 り、上は宮殿から下は人家に至まで、その建築の功績は風雨寒暑をしのぎ、器具機械 の効能は種々多彩につかわれ、我々人類に幸をもたらしております。この二神の御神 徳によって、私どもは日々幸福な生活ができるといえましょう。従って、その業を職 とする工匠は勿論のこと、一般に崇敬され、地鎮祭、起工祭、釿始、柱立祭、上棟祭 、葺合祭の主神として奉斎し、小屋安大神、また家宅守護祖神として崇敬されて居り ます。相殿に彦火々出見尊、豊玉姫命、・・草葺不合命を奉斎してあります。この諸 神は日本敷物の祖神で畳業家の崇敬あつく、又安産育児の道を守り、海幸の御神徳、 海猟海上安全の事も守られ、その道に於いて信仰されて居ります。

古来よりの崇敬
延喜の制に於ては式内小社に列せられ、大化の制に於ては国司の祭祀にあずかって居 ります。治承年間に源頼朝の祈願の事があり、神田二十町を寄付されて居ります。里 見氏の時代になり三石の寄進あり、徳川氏の時代に於ても三石の寄進がありました。 代々領主の祈願所でありました。明治二十五年十二月、小松大将宮彰仁親王殿下より 社号額字の御真筆を賜わりました。現在拝殿正面の額字が奉掲されたものです。 講社の起源沿革
祖神講の起源年号はあきらかではありませんが、明和八年、本社の修築の際、その修 築費を江戸講中により募集したとありますので、明和以前より存立していたと思われ ます。明治八年十一月四日、祖神教会講社を浅草西鳥越町二番地に建設し、後にこの 教会所は本社に移され、明治三十九年、本所大工職業組合に管理崇敬共に依頼されま した。当時の組合長は白鳥豊次郎氏でありました。明治十五年、本社の本殿、幣殿、 拝殿を講員の寄付金をもって改築されて居ります。昭和になり東京横浜の各区の職工 組合により、講社が結成され年々本社に参拝されて居りました。



下立松原神社[シモタチマツハラ]
下立松原神社[しもたてまつばら]「天日鷲命、天太玉命、天富命、伊弉諾命、伊弉册命 配 阿八別彦命、須佐之男命 合 住吉大神、高倉彦命、大麻産靈命、 高雷命、闇雷命、高皇産靈神、神皇産靈神、倭健命、柿本人丸、高命、闇命、天忍日命、天照皇大神、磯根御氣姫命、衣通比賣命、木花開耶姫命、金山彦命、菅原道眞」神武天皇元年。千葉県安房郡白浜町滝口1728 玄松子の記憶
下立松原神社「天日鷲命、木花開耶姫命、月夜見命」千葉県安房郡千倉町牧田193 玄松子の記憶
式内社下立松原神社
当社は天日鷲命を祀る社で、昔、天富命が天日鷲命の孫由布津主命が、祖神を祀った のが当社である。当時鹿などの獣が住民の農作物を荒すので、神々が狩りを行い、獣 の害を除いた神恩に感謝する祭が今も神狩の祭として行われ、また狩りで捕えた大鹿 の角が社宝として現存している。
武将の尊崇も厚く、源頼朝公、里見義実公も太刀を献納し武運を祈っている。


高家神社[タカイヘ]
高家神社[たかいえ、たかべ]「磐鹿六雁命、天照皇大神、稻荷大神」磐鹿六雁命は大彦命の裔孫にあたる。祭神としては他に天道根命とされる。紀伊忌部氏祖の彦狹知命の子である。千葉県安房郡千倉町南朝夷164 神社 玄松子の記憶

H24.1.27

延喜式神名帳目次

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