淡路國:13座 大2小11


津名郡[ツナ]:9座 大1小8

淡路伊佐奈伎神社[イサナキ](名神大)
伊弉諾神宮[いざなぎ]「伊弉諾大神、伊弉冉大神」
御由緒
我が国最古の歴史書たる、古事記・日本書紀に御祭神二柱の大神は、高天原の神々の 理想実現のため天沼矛をもって日本の国土開拓に着手された。その最初が淡路の島で 、先づ八尋殿と言う御殿を建て、其処で正しい夫婦の道をお定めになり、人々に教育 を施し、産業を興して此の島をお治めになった。
更に四国・九州・本州を始め周辺の島を次々と開拓されたのである。此の神業が国生 みであり、大神を国生みの神と申し上げるのもその故である。
大神は多くの神々もお生みになったが、その中で一番貴い御子神が天照大御神である 。国生の大業を了えられた大神は、此の御子神に後の国治めの大任をお委せになり、 独り国生みの初めの淡路へお帰りになって、此の多賀の地で余生を過されやがて御住 居の跡が御陵となり、いつしか神社として祀られる様になったのが当神宮で、古事記 には淡路の多賀になも坐す、日本書紀には幽宮を淡路の洲に構り、と御鎮座の起源を 明かにしている、即ち日本最古のお社である。
兵庫県淡路市一宮町多賀740 玄松子の記憶

伊勢久留麻神社[イセクルマ]
伊勢久留麻神社[いせくるま]「大日貴尊」
御由緒 伊勢久留麻神社は遠く伊勢ノ国久留真より勧請せるものと云われ、祭神は大日E貴尊 と称され、敏達天皇の頃(五七二年〜五八五年)と云われ、延喜式(九二七年完成) には、淡路十三社の三番目に明記されている。そのため淡路イザナギ神宮を一の宮と し、この神社は三の宮と云う。
昭和五十五年二月十一日建国の日にNHKテレビが特別番組として「知られざる古代 ・謎の北緯三十四度三十二分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので俄然全国 的にも有名となったものである。
兵庫県淡路市東浦町久留麻2033 玄松子の記憶

石屋神社[イハヤ]
石屋神社[いわや]「國常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊」
御由緒
創立年月不詳なれども伝へいう崇神天皇(第十代天皇)の御代三対山に鎮座せられ絵 島明神といい垂仁天皇(第十一代天皇)の御代石屋明神という神功皇后(皇紀八百六 十年頃)三韓征伐の際対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上に於て 戦勝を祈願せられ凱旋の時又参拝ありて報賽せらるるという延喜式の制小社に列し白 河天皇(第七十二代天皇)承暦四年禍穢によりて使を派し清祓を科すべき事を卜奏せ り二条天皇(第七十八代天皇)長寛元年「天地大明神」と勅定せられ神階を昇叙し神 供田を寄進せらる源平争覇の頃岩屋浦兵火の巷と化せしかば当神社多く什宝古記録の 烏有に帰せしめたり土御門天皇(第八十三代天皇)の御代大内義興将軍義植を奉じて 京都に入らんとし当地に軍を進め三対山に岩屋城を築きし時当神社を海浜なる今の地 に遷座せり池田氏淡路を領せし際社殿を再興し寛政八年領主蜂須賀候親しく参拝し文 化十四年又直参を見たり明治六年二月郷社に列せらる。
兵庫県淡路市淡路町岩屋字明神799 玄松子の記憶

築狹神社[ツキサ]
築狹神社[ちくさ]「速須佐男命、譽田別尊」兵庫県洲本市千草字野カツ田甲218 玄松子の記憶

賀茂神社[カモ]
賀茂神社「別雷命」
御由緒
創立年月不詳延喜式の制小社に列し正徳二年本殿を建て同年徳島藩より米五石を献備 せられ明治六年三月郷社に列し同十一年本殿を改築せり同年社務所を同二十六年拝殿 を共に新築せり。
兵庫県洲本市上加茂字西の宮603 玄松子の記憶

由良湊神社[ユラノミナト]
由良湊神社[ゆらみなと]「速秋津日子神、速秋津日賣神、品陀和氣尊」兵庫県洲本市由良3丁目5-2 玄松子の記憶

志筑神社[シチク]
志筑神社[しずき]「少彦名神」兵庫県淡路市津名町志筑天神907 玄松子の記憶

岸河神社[キシカハ]
岸河神社[きしかわ]「田心姫命、市杵嶋姫命、湍津姫命」兵庫県洲本市上内膳字森64 玄松子の記憶
山王神社[さんおう]「大山命」兵庫県洲本市納字山大732 玄松子の記憶

河上神社[カハカミ]
河上神社「高神 合 菅原大神」
御由緒
本社の儀は、創立年代詳かならざれども延喜式神名帳に「淡路国津名郡河上神社」と ある、即ち是にして、往昔祈年国幣に預り給ひし古社たり。
相殿天満宮の儀は、菅原道真公曾て讃岐守御在任中御上洛の途、都志に御船を留めら れ此の郷名「都に志す」とは我が意を得たり。聞く此の名神あり、神威赫々須らく賽 して加護冥助を祈らんと、乃ち流れを泝りて当所に御参向あらさられたりき。此の由 縁をもちて、公太宰府に薨ぜられし後、里民敬慕止み難く、此所に管廟を営み奉斎せ りとなん。爾後淡路に於ける唯一の天満宮として全島民の尊信聚まり、代々の守護職 殊に舊藩主阿波守蜂須賀家の御崇敬極めて厚く、徳島城鎮護の祈願所として、代々社 殿の再興修築怠らず、年々奉行を派遣して大祭を執行せられたりき。明治四年郷社と 定められたりしが、明治二十七年六月四日縣社に昇格せられ、益四方の崇信深く、其 御神徳に賽するもの日に年に多きを加ふ。
兵庫県津名郡五色町南谷562 玄松子の記憶 河上神社「高神」兵庫県淡路市北淡町斗之内1089 玄松子の記憶
川上神社「彌都波野賣命」
御由緒
創立年月不詳、伊弉諾神社の川上(上流)に鎮座して居るので、一ノ宮の川上神社と いう。明治初年まで本殿内に「一ノ宮」と記入した金幣があったが紛失して今は無い 。延喜式神名帳に津名郡河上神社とあるのは当神社の事ですが文書等明治初年に失わ れたという。
兵庫県淡路市津名町木曽上畑850 玄松子の記憶


南あわじ市[ミハラ]:4座 大1小3

原神社[ヤハラ]
笑原神社[えはら]「?」兵庫県南あわじ市三原町八木笑原徳野190 玄松子の記憶
笑原神社西宮「?」兵庫県南あわじ市三原町八木笑原徳野59-1 玄松子の記憶

湊口神社[ミナクチ]
湊口神社[みなくち]「速秋津比賣命、譽田別命」兵庫県南あわじ市西淡路町湊里字大神ヶ内1287 玄松子の記憶

大和(大)國魂神社[ヤマト・オホクタマ](名神大)
大和國魂神社「大和大国魂大神」兵庫県南あわじ市三原町榎列上幡多857 玄松子の記憶

久度神社[クト]
久度神社[くど]「仲哀天皇」兵庫県南あわじ市三原町神代国衙字久戸1417 玄松子の記憶


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延喜式神名帳目次
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