石屋神社
兵庫県淡路市淡路町岩屋浦799 mapfan

絵島 おのごろ島の候補

交通案内
岩屋港徒歩10分


祭神
國常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊
『神社総社記』月読尊

巾50mの長屋式門を砂浜から見る


由緒

 延喜式内社。扁額は天地大明神。国生みの発端の地の気概を感じる。
 絵島明神、岩屋明神とも呼ばれた。

 この岩屋の対岸、明石市材木町に岩屋神社が鎮座、当社が波の浸食で海中に没しようとしていたので、淡路まで迎えに来て勧請したと云う。
 『平成祭礼データ』の由緒は「成務天皇十三年六月十五日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。」とある。

拝殿


お姿
 砂浜から国道をへて神域と三対山になる。海から迎える神であったのだろう。神社は三対山頂に鎮座していたが、築城のあおりを受けて現地に遷座。

本殿


岩楠神社「伊弉諾尊、伊弉冉尊、蛭子命」 三対山北側の洞窟

岩楠神社

洞窟内の祠

 伊弉諾尊の隠れた幽宮と地元では伝わる。伊弉諾神宮の摂社。


お祭り
  5月15日 例祭

『平成祭礼データ』石屋神社の御由緒

 創立年月不詳なれども伝へいう崇神天皇(第十代天皇)の御代三対山に鎮座せられ絵島明神といい垂仁天皇(第十一代天皇)の御代石屋明神という神功皇后(皇紀八百六十年頃)三韓征伐の際対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上に於て戦勝を祈願せられ凱旋の時又参拝ありて報賽せらるるという延喜式の制小社に列し白河天皇(第七十二代天皇)承暦四年禍穢によりて使を派し清祓を科すべき事を卜奏せり二条天皇(第七十八代天皇)長寛元年「天地大明神」と勅定せられ神階を昇叙し神供田を寄進せらる源平争覇の頃岩屋浦兵火の巷と化せしかば当神社多く什宝古記録の烏有に帰せしめたり土御門天皇(第八十三代天皇)の御代大内義興将軍義植を奉じて京都に入らんとし当地に軍を進め三対山に岩屋城を築きし時当神社を海浜なる今の地に遷座せり池田氏淡路を領せし際社殿を再興し寛政八年領主蜂須賀候親しく参拝し文化十四年又直参を見たり明治六年二月郷社に列せらる。
 以上

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