家島神社
兵庫県姫路市家島町宮字天神鼻1 its-mo

鳥居

交通

飾磨港から家島の宮へ、東へ1km



祭神

大己貴命、少名彦命、天滿大神
摂社
大山神社「大山祇神」男鹿島

拝殿



由緒  神倭磐彦命(即位して神武天皇)の東征の際、家島の港に寄港、その静かなるを以て家に居るようだと島の名を家島とし、天神を祀り、皇師の武運長久と海上安全を祈願したと言う。
 後世、神功皇后は三韓へ出発の時、天神を祀ると山中がゆれた。ゆるの山と古歌にもよまれ、朝廷の崇敬篤く、第四十八代称徳天皇天平宝字八年(764)三月七日、揖保郡福井庄家島の高島に支那福州の賊船襲来屯す、時の国司藤原朝臣貞国下知して、戦勝を祈願せしめ、これを撃退、神威毫し衰へず播磨を往来する船舶は、風波の難を祈り、崇敬怠る事なし。故に仁明天皇承和七年(840)六月官社と為り、醍醐天皇延喜の制に式内名神大社となる。

 江戸期には祭神を白髭明神としているが、これは宮地区の中心の宮浦神社の祭神であり、混同される程に家島神社は影の薄い存在だったということ。

 此の大神は国土を開墾し、海運、漁業、医薬、禁厭酒造の方法を定め、温泉を開発人畜の病に悩むを助け給ふ最も尊き神に坐す故に、大己貴神は大国様、少彦名命は薬神様として崇めたる。


万葉歌碑



家島は 名にこそありけれ 海原を 我が恋ひ来つる 妹もあらなくに −遣新羅使人−(15−3718)



お姿

 西南向き。
 家島の東北端の端山に鎮座、島の気の発する所。家島の居住区である宮と真浦を南面して守るかたち。 海岸に大きい鳥居と灯籠が聳える。

遠景



お祭り

 7月24,25日  例祭(天神祭)

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