新羅神社
姫路市四郷町明田字下道居706 its-mo
鳥居
交通
山陽電鉄八家駅 北へ1500m
祭神
帶中津彦命、品陀別命、息長帶姫命
摂社 神明社、岩神社、大歳神社、稲荷神社
由緒
創建時期は不明。古くから新羅大明神と呼ばれていた。
由緒については、播磨海岸近辺には神功皇后関係の伝説が多く語られており、当社も例外ではない。皇后が戦勝祈願のため福泊から上陸して麻生山への登臨を目指してこの地まで来た時に天明に及んだので、暁田と称したと云う。
また皇后帰国の途次、当地に預け置かれた新羅の王子を祀ったので新羅神社と称したと云う。
祭神は八幡三神となっている。
『播磨国風土記』によれば、この付近は飾磨郡美濃の里で、讃岐の国の弥濃の人がやって来て住んだ。西の地名は継(つぎ)で、継の潮と称する訳は、昔この国に一人の死んだ女があった。その時、筑紫の国の火君らの祖がやって来て、また生き返った。そこでこの人に嫁ぎ(とつぎ)した。だから継の潮と云う。とある。
拝殿
お姿
あまり木々は多くない。拝殿に近所の子供達が遊んでいた。「おっちゃん、この神社より有名な神社ってあるん?」。「姫路ではお城の近くの射楯兵主神社が有名だよ。でも僕たちはこの神社を大切にしなさい。」
本殿
お祭り
10月 10日 例祭
神社本庁平成祭りデータCD
創立年月は不詳なるも神功皇后が異国平定の際、福泊港より御上陸、麻生の峯に御登りの時、この明田村にて天明に及ぶ、依ってこの地を暁田と称し(後明田と改めた)凱陣を祝して現在の三神を祀り征討国の一たる新羅の名をとり新羅神社と名付けられたと伝えられる。
明治七年二月村社に列せられたが、戦後は国家の手から離れて社格は廃止となり宗教法人として現在に至る。 |
『姫路の神社』神戸新聞総合出版センター 『兵庫県神社誌』(昭和十三年) 『古代播磨の地名は語る』姫路文庫
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