飛騨國:8座 並小


大野郡[オホノ]:3座 並小

水無神社[ミナシ]
飛騨一宮水無神社「ひだいちのみやみなし」「御歳神 配 大己貴命、三穗津姫命、應神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豐受姫大神、大歳神、大八椅命」 中部日本の分水嶺の中心部の位山[くらいやま]の北東、宮盆地の東側に、杉の古木を多いうっそうたる森の中に北面して鎮座している。位山は神体山で山中に三ヶ所の巨石群があり[天の岩]と呼ばれている。原始林も第一級である。
参拝のしおり 古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかで はない。史上にあらわれるのは平安初期、貞観九年(867年)神位を授けられた記 事にはじまる。中世鎌倉時代には社領は付近十八 ケ村に達し、社家十二人と社運が 隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官 、郡代(天領時代)の尊崇をうけ、また、一般の厚い信仰にささえられ、明治四年五 月十四日、太政官布告によって国幣小社に列せられ、昭和十年より国費をもって十年 の歳月を要する造営がなされ今日の社殿が完成した。昭和二十一年二月官制廃止後は 神社本庁に所属し現在におよぶ。社名の水無は『みなし』(水成)または、『みずな し』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもあるが、水主の意味である。社前を 流れる宮川の川床があがり、流れは伏流して水無川となり、水無川、水無瀬河原、鬼 川原(覆ケ川原)の地名となっている。この宮川の源流位山は日本を表裏に分ける分 水嶺になっており、水主の神の坐す神体山として当神社の奥宮と称している。この霊 山には一位(櫟)の原生林があり天然記念物とされ、平治元年(1159年)には飛 州一宮神主から位山の一位の御笏を献上したことがみえるのをはじめ、一宮神領、位 山の一位をもって謹製した笏を歴代天皇御即位に献上するのが例となって今日に至っ ている。

岐阜県大野郡宮村字石原5323 玄松子の記憶

槻本神社[ツキモト]
槻本神社[つきもと]「大山津見神、櫛御氣野神、建御名方刀美神、八坂刀賣神」岐阜県大野郡丹生川村大字山口字月本145 玄松子の記憶

荏名神社[エナ]
荏名神社[えな]「高皇産靈神」岐阜県高山市江名子町字塩谷1290 玄松子の記憶


荒城郡[アラキ]:5座 並小

大津神社[オホツ]
大津神社[おおつ]「大彦命 配 武渟河別命 合 建南方富命 摂社 木魂神社「久久能知大神」」鉱山の町である。岐阜県吉城郡神岡町大字船津字寺ノ上1823-2

荒城神社[アラキ]
荒城神社[あらき]「大荒木之命、國之水分命、彌都波能賣神」周辺には縄文中期の遺跡が多い。水神信仰に関わる社であった。岐阜県吉城郡国府町宮地1464番地の1 玄松子の記憶

高田神社[タカタ]
高田神社[たかた]「高魂神」 岐阜県飛騨市古川町貴船町8−6 玄松子の記憶
貴船神社[きふね]「高命」 岐阜県吉城郡古川町大字太江字神垣内2669 玄松子の記憶

阿多由太神社[アタユタ]
阿多由太神社[あたゆた]「大歳御祖神、大物主神 配 家津御子神、早玉之男神、熊野久須美命、阿須波之神」岐阜県吉城郡国府町木曽垣内字牧戸1023 玄松子の記憶

栗原神社[クリハラ]
栗原神社[くりはら]「五十猛神、大山祇大神、宇迦之御魂神、伊邪那美命、伊邪那岐命、菊理姫命、火産靈神」岐阜県吉城郡上宝村宮原350 玄松子の記憶

H24.1.25

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