能登部神社
石川県鹿島郡鹿西町能登部上ロ70 mapfun
鳥居と神門
交通案内
JR七尾線能登部駅下車北東へ15分
祭神
能登比古神、大入杵命
配祀 天照大神、豐受大神、少彦名命、天滿天神、建御名方命、迦具土命
由緒
能登国の式内社の能登生国玉比古神社の論社の一。
能登国造の祖とされる能登比古、能登臣の祖神とされる大入杵命を祭神とする。能登比盗_社の妹宮に対して兄宮の能登比古神社、号を能登生国玉比古神社とする。江戸時代には能登比古神社、上宮とも称された。
大己貴命の巡行のさい、当地の彦姫の二神のうち、彦神が濁酒と団子を献じた所、命はこれを賞して、わが苗裔となさんといったという。この彦姫の二神の鎮座地を兄村、妹村と呼んだ。
その後、崇神天皇の皇子の大入杵命が妹の渟名城入姫ともに当地にきたて、国土を開発、この地で没したので霊を当社に祀り、遺骸を小田中村の親王塚に埋葬した。塚への道筋に当たる冠塚、太刀塚は祭神に由来するといわれる。
拝殿
お姿
社殿は南東に面して鎮座、本殿は流造で間口二間、奥行三間。寛文十年(1670)再建。
境内は埋蔵文化財包蔵の地、由縁の塚として太刀塚、冠塚、親王塚があることは前述の通り。
お祭り
10月 第4日曜日 秋季例祭、11月 17日 苗裔祭
本殿と社殿背後の丘上
平成祭礼データ
当社は能登国造の祖能登比神及び能登臣の祖大入杵命を祀る。
社伝に大己貴命当地に巡行ありて、わが苗裔たれと、式内能登生国玉比古神社は当社なり、その後崇神天皇の皇子大入杵命、当地に下向あり殖産興業の道を開き給う、薨し給うや郷民その徳を慕い郷土開拓の祖神とし崇め祀る。
前田利家公入国に当り、深く当社を崇敬し、その室寿福院は当地に住みて、藩主利常公を出産す。
以来藩主の産神として深く崇敬さる。
明治四年現社号に改む、同十四年御社、昭和七年県社に列す。
以上 |
参考:『日本の神々8』白水社、『平成祭礼データCD』、『式内社調査報告』巻十六
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