蜂田神社
大阪府堺市中区八田寺町524番地 its-mo

鳥居

交通

泉北高速深井駅、西へ1.5km



祭神

天兒屋根命
配祀 菅原道眞、金山比古命、伊弉冉尊

拝殿



由緒

 当社の起源は古く、当地を原籍とする蜂田連の祖天児屋根命を主祭陣として祭る。
 創建はつまびらかではないが延喜式神名帳にも記されている古社である。永禄年間以前の当社は、現在地より西一丁余りの山麓に鎮座していたが、永禄十一年の三好衆対松永勢の家原城攻防が原因で現在地に遷宮したと伝えている。近世では神宮寺として西林寺を併有していたが明治の神仏分離令により西林寺は廃寺とした。
 なお明治政府の神社合祀策によって、明治四十三年(1910)付近の村社6社と無格社2社(八田荘7社、久世1社)を合祀した。
 通称当社を鈴の宮と呼ぶのは当社の起源と思われる蜂田連が土焼きの鈴12個を作り毎年春の初めに神前に供え、鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事によるものである。
 近年は境内の土を使って12種の占い鈴を作り、古式どおりの鈴占いを行うほか、開運厄除の御守り鈴を作り参拝者の求めにより投与している。

西側の鳥居

お姿

 住宅地の奥のほうに鎮座している。 バスは神社の側までは来ないようだ。西側の鳥居から南側に境内をぬけるショートカットとして利用されているとうだ。


お祭り

 10月 第1土曜日 2日間 例祭

『平成祭礼データ』
泉州鈴之宮蜂田神社略記

 当神社は和泉国神名帳大鳥郡二十四座の内の式内社にして、創立既に上代に属す。社伝に永禄年代以前は現在地西一丁余の山麓に鎮座ありしを、三好松永等の輩家原城を攻むるに方り不幸回禄に帰し現社地に遷るという。今なお古宮の跡を存せり。延喜式に既に鑿靱の大幣に預かり給い、当国神命帳に正四位上を受け給える明神に在し、代々御祭神天児屋根命の後裔蜂田連が奉斎し来れる神社にして、大鳥郡内の古社として往昔より斎かれ給えること史に徴して明らかなり。当神社を鈴の宮と呼ぶことの起こりは、毎年節分に当たり鈴占い神事として古式により祭典執行のことあればなり。この神事は今より一千百余年の昔、蜂田連なる人土焼の鈴十二個を作り、毎年の春の初めに神前へ献りその音の善し悪しによりてその年の吉凶を占い給いし古伝によれるものなり。近年は神域の清き土を以て十二種の占鈴の外開運厄除の御守鈴を作り神前に献供して祈願をこめ一般参拝者の乞いにより授与のこととせり。当社においては古来神事に使用したる土鈴、撤下後鈴塚に埋蔵し来たりしを、昭和四年以来このことを止め節分当日参拝者へ抽選を以て頒つこととせり。現今にては当社授与の土鈴のうち破損したるを返納される向き多くなりたるにより、この分毎年十二月八日修祓を行ないて埋蔵するを例とせり。
以上

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