国神社址
大阪府堺市南区上神谷字鉢峯 mapfan

鳥居


交通

泉北高速泉ヶ丘 バス鉢ヶ峰下車



祭神

天照大神(社伝)
幸魂奇魂大物主神(和泉国式神私考) 天光神、金峯、熊野、白山、山王各権現(近世)



由緒
 社址前に保存会による由緒が掲げられている。
 垂仁天皇八年、天照大神鳳凰の形を現し、襲の峰に降臨せらる。景行天皇の御宇降臨の跡を祀り社を営ましめらる。是が国神社の起因である。爾来この地を神の郷という。上神谷(にわだに)の名亦之に因る。ついで同帝五十五年神鳳を曽抄の里に遷座せらる。即ち今の大鳥神社である。祭神天照大神外四権現合祀す。
 祭日は10月5日当日朝境内に於いて、鉢ヶ峯保存会により「鼓踊 こをどり」を奉納す。
 明治四十三年に片蔵の式内桜井神社に合祀された。

境内


お姿

 鉢ヶ峰のバス停のやや南側に鎮座する。
 ふるい鳥居が残っている。狛犬のつもりなのか子供のおもちゃのような子馬の乗り物が左右に鎮座している。 階段があり、奧に祠が鎮座。

   難波の上町台地先端に大化の改新の後に孝徳天皇が難波の宮を造った。難波長柄豊碕宮と云う。「上古の聖王の跡に従い」との天皇の言葉が『日本書紀』に書いてあり、仁徳天皇の高津宮も同じ場所にあったのかも。
 『日本の古代9都城の生態』で、千田稔氏が、「この難波宮の中心線から南下する難波大道が造られているが、その延長上に当社 国神社 が鎮座する。」と指摘されている。

本殿

神宮寺であった法道寺

 白鳳時代、天智天皇9年(670)法道仙人当山に来たり飛鉢の法修せられ、その霊験の著しきにより終に天皇の耳に達し、勅願寺として開創され、もと閑谷院長福寺と称され多数の寺院を擁した大寺院であった。享保元年(1716)徳川八代将軍 吉宗公の嫡子に長福丸と名付けられてより法道寺と寺号が改められた真言宗の寺である。

 薬師の尊像 光背に千体の薬師仏

 重要文化財 食堂(鎌倉時代)、多宝塔(室町時代)

本殿



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