春日神社、穂椋神社
大阪府和泉市三林町591

交通

泉北高速和泉中央 南3km its-mo



鳥居と転々と狛犬のある参道



祭神

武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、比大神
合祀神 市杵嶋姫命、比賣命、白山比賣命、大山咋命、伊弉那美命、素盞嗚命、佐太彦神、品陀別命、若年神、菅原道眞
摂社
穂椋神社「保食神」池田郷一ノ宮 小倉山より遷座
意賀美神社「高神」
玉福稲荷神社「祭神不詳」



春日神社

由緒

 150mの参道の両側は分厚い社叢をなしている。ここに元々は数十基の古墳があったそうである。 本殿の裏も古墳で、春日山へ続く。春日山は南北に長い山で、神社はその南端に参道を西に向けて鎮座している。社叢は遠目からも巨大な森に見える。

 『社記』によれば神護景雲二年(768年)の創建と言う。大和の春日大社創建の頃である。

 式内社の穂椋神社が摂社になっている。穂椋神社はここから北へ1.5km下流の和田と呼ばれる地域に鎮座していたが、大正四年に合祀されている。式内社を合祀した春日神社、おそらく地域の諸事情があったのだろうが、一つは三林(みばやし)と呼ばれるように官地の御林であったように丘陵地の割には平地が広がり、豊かな地域であった事があるのだろう。 一方、穂椋神社の鎮座する和田は交通の要所ではあるが、槙尾川が削った狭い地域で、さほど豊かな地域ではなかったように思われる。



摂社の意賀美神社と穂椋神社


 穂椋神社についてはほとんど分かる事はない。ホクラからは秀座即ち立派な磐座があった神社であろうと想定したが、この辺りの土壌には岩が混在しているようには見えなかった。山の断面にも岩らしきものは見えない。
 六甲山系の岡本に保久良神社が鎮座、高地性集落跡でまた磐座も多く、秀座と解釈できるが、こちらの穂椋は一体なんだろうか。

 和田には穂椋神社の後に創建されたと思われる金刀比羅神社と金精神社が山頂に鎮座している。



金刀比羅神社と金精神社


春日神社由緒 平成祭礼データから

 神護景雲年間常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国御かい山(今の三笠山)に御遷 座の砌り近郷の民、此地に集い屯宮を造営、次いで天児屋根命・比売命斎祀り春日神 社と称し、池田郷の守護神と崇敬されるに至った。
 爾来三林村、和田村、浦田村、万町村、鍛冶屋村、室堂村、池田下村の七ケ村が氏子 としてこれを奉斎し、その社地四萬六百八十坪享保三年六月十九日神祇官より正一位 の神位授かり、春日神社と称号される。
 明治に至り社格郷社に同四十年に神饌幣帛供進社に指定される。
 明治四十二年九月南池田村北池田村、村社無格社を、大正四年七月和田小倉山の式内社穂椋神社、万町意賀美神社を合祀。


お祭り

10月10日 2日間 秋季例大祭


神奈備にようこそに戻る