積川神社
大阪府岸和田市積川町349番地 mapfan

牛滝川のある西方を向いた鳥居

交通

久米田駅からバス積川神社前下車



祭神

生井神、榮井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神
摂社
稲荷神社、戎神社

二の鳥居の扁額



由緒

 泉州五社(大鳥、泉穴師、聖、積川、日根)の一。
 積川神社の祭神は宮中神である座摩巫祭神五座である。御神体は古鏡。
 生井、栄井(福井)、津長井(綱長井)の三神は井泉の神。牛滝川へ宮川(旧名深山川)が落差を以て流れ込む故に積川と名付けたとの説明がある。『平成データ』では、積川の名を持つ神社は当社のみ。普通は川合程度なんだが落差を滝と見て、牛滝川か。飛鳥の臼滝神社は渦とか。よくわからない。
 阿須波神、波比岐神は、『古事記』の大年神が天知迦流美豆比売と婚して生んだ神の中に、庭津日神、阿須波神、波比伎神の名が見える。家庭の神、足場の神とされる。
 なお、余談ですが波比岐神=五十猛命説があります。参照下さい。

 寛治四年(1090)、白河上皇が熊野御幸の砌、古道にそう八木村額原(岸和田市額原町)で当社を遙拝された際、傍らの鳥居の扁額の筆跡が稚拙であったので、自ら筆をとり「正一位積川大明神」と大書したという。

流造檜皮葺の本殿で重文


お姿

 牛滝川沿いの道に西面して鎮座。
 木々の豊かな社叢は鎮守社のいい風景。
 華麗な本殿は豊臣秀頼が片桐且元に大修理をさせている。重要文化財。

本殿



お祭り

 10月 8日  3日間 秋季例大祭

『平成祭礼データ』
当神社は第十代祟神天皇の御代にこの地に創立され、地名は前に牛滝川、後に深山川と高低相会する地に位するので積川の称があります。
延喜式内社で和泉五社に列し歴代天皇の勅願社として又武将の崇敬も厚く、天正の頃まで社領六百石を有していましたので格式のあった神社であることが想像されます。社域は府道牛滝街道に接して一段の高所を占め、二千五百坪の広さの境内を有し、古木森然とした中に本殿(三間社流造、屋根桧皮葺)があります。建築年代は詳らかではありませんが慶長七年、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として大修理を加えられ現在にその様式を伝える桃山建築の優雅広大なこと、特に高欄の彫物の色彩の鮮かなことは美の極地とされて、建築の大家をうならせています。
この本殿は大正三年四月に特別保護建造物(国宝)に指定されました。
社宝として神像(木像)は重文指定、淀君奉納の神輿(国宝申請中)楠正儀寄進の石灯篭、古鏡の他、寛治四年、白河上皇が熊野へ行幸の途、熊野街道から神社を遥拝され、芝草を積んで舞台をしつらえ、舞楽を奏されたとき、鳥居に掲げられた扁額の筆磧が拙いのをご覧になり、親しく筆を執られて「正一位積川大明神」の八字を大書され、これに代えられたと伝えられる有名な扁額があります。
以上

公式積川神社
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