大阪府貝塚市脇浜4 mapfan 交通 南海本線貝塚駅 西へ1500m
遠浅の静かな波が打ち寄せる脇浜・二色浜海岸一帯は、古来より豊かな漁場と白砂青松の景勝地として知られ、奈良・京都の都に近いことから宮中で食事などを司る「内膳司」と云う役所によって御漁場が置かれていました。平安時代の諸制度を記した「延喜式」に、「和泉国・網曳御厨(あびこのみくりや)」とその名前が記録されています。「延喜式」によりますと、この地から毎月「子の日」と「巳の日」に塩漬けの鯛・鰺・干し魚や魚の内臓で作った調味料など二十石六斗を毎年都の役所へ納入するように決められていました。 当地の戎社は網曳御厨の守護として創祀されたと伝えられ、御厨の領地内二ケ所に「事代主命」が戎神として祀られてきました。明治時代、高神社に会わせ祀られた後も、御厨の戎様は泉州地方の人々から「脇浜のえべっさん」と呼び親しまれています。
江戸時代、岸和田藩主自らしばしば雨乞いに詣でた高神社は、古来よりの水の神の社としてこの地の稲作の民に崇敬され、八大竜王社又はの社とも呼ばれていました。八大竜王は「妙法蓮華経」にあらわれる八柱の竜神で水を招く神々として信仰され、高の神は雨乞いの竜神、闇の神は長く続く雨を止める竜神として昔から日本各地で祀られてきました。 当神社は貝塚市を東西に流れる近木河の河口に鎮座していますが、川の源の和泉葛城山の森にもの神が祀られています。今では雨乞いの記憶もすっかり薄れてしまいましたが、古来より高神社は穏やかな日々には葛城の森が育てた近木川の流水に養われ、又苦しい干魃の日々には口々に八大竜王に雨を乞い祈願と感謝を重ねて来たこの地の人々の心の拠り所でした。近年は人々に恵みをもたらすため天翔け登る竜神様に、家内の安全や開運を祈願する人々が多くなりました。
延喜式内社の神前神社を合祀している。『和泉名所図会』には、「神前(かうさき)神社 神前村にあり。今、妙見と称す。」と記載されている。今の貝塚市畠中。妙見さんは事代主神社に合祀され、さらに高神社に再合祀されぬにおよんで、神前神社の名前も忘れられていった。神前神社の祭神は少彦名命とか武甕槌神とされるがよくわからない。 お姿 海岸に近い立地、境内には白い石がひかれているようで、やはり海岸のイメージ。 建家も白く塗装されており、また大きい。拝殿も美しい。
9月22日 例祭 神奈備にようこそに戻る |