美談神社
出雲市美談町182 mapfan

鳥居

交通
一畑電鉄 美談駅下車西へ5分



祭神
經津主命、息長足姫命、武甕槌命 合祀 比賣遲神
摂社
 県神社「天穗日命 和加布都奴志命」
 印波神社「天手力雄命」
 弥陀弥神社「櫛御氣野命 大地主命」
 弥陀弥神社「大山咋命 木花咲耶姫命」
 小早川神社「小早川正平 小早川隆景」



参道



拝殿

由緒
 延喜式神名帳に美談神社と記し、出雲風土記には弥太弥神社と記している。 もとは、三太三(みだみ)と言い、~亀三年(726)に字を美談に改めた。
 『出雲国式社考』には、「美談神社、風土記に彌陀彌社とあり。祭神未考。風土記に、美談郷、所造天下大神御子和加布都努志命 云々」とある。

 『風土記』出雲郡の神社に見える弥太弥神社について。
 神祇官 弥太弥の社(美談神社) 弥太弥の社(同社比売遲神社) 
 神祇官にない 弥太弥の社 同じ弥太弥の社 同じ社 同じ社 同じ社 同じ社 同じ社 同じ社 同じ社 同じ社 同じ社
 『延喜式神名帳』記載の神社で当社内に鎮座している社。縣神社。印波神社。

 建長年中(1249〜1252)出雲の国守佐々木次郎左右衛門秦清の七男広田頼清、八幡宮を勧請し同社に合祀してから八幡宮と称した。


本殿

お姿
 一畑電鉄の美談駅下車、電車道の北側を西へ300メートル程行くと山裾に鳥居がたっている。急な石段を数拾段登っていく。両側に苔が蒸している。途中左側に巨木と鳥居の神社がたっている。境内から出雲平野が願望できるそうだが、木々が多く、のぞめない。


お祭り
 10月 14、15日 例祭 [通称]大祭 [神事名]頭練行事


印波神社 縣神社 本殿

美談神社


 延喜式神名帳に美談神社と記し、出雲風土記にも彌太神社と記している。又、天保4年(1833年)の出雲神社巡拝記にも美談村の条に記に云う(風土記)彌談彌神社、式に云う(延喜式)美談神社とし「祭神はわかふつぬしの命なるべし」とある。巡拝記によると「建長年の頃(1249〜1252)佐々木次郎左エ門泰清の七男広田頼清のころ八幡宮を勧請せらぬと聞きぬ」とあるので、当国守護職塩冶氏の系累によって勧請されたものであった。されば武家時代においては、その蔭に古代以来の在地の守護神がかくれたまうのも、またやむを得ぬことであった」と記されている。つまり建長年間になって彌談彌神社がうしろにかくれ、表面に八幡宮が出てきたのである。

 明治5年に村社に列せられた。寛永13年(1636)未曽有の洪水によって斐伊川が東流し、これによって美談郷が分断され、斐伊川の北側が万治2年(1658)年以来楯縫郡に属することとなり、明治22年市制、町村制によって国富村の一大字となり昭和26年平田市と合体し、30年市制施行によって平田市美談町となった。
  以上

参考 『神国島根』、『式内社調査報告』

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