須佐神社
出雲市佐田町宮内730 mmapfan

鳥居

交通
一畑バス出雲須佐 タクシー5分



祭神
須佐之男命 配祀 稻田比賣命、脚摩槌命、手摩槌命


拝殿

由緒
 延喜式神名帳記載社。出雲国風土記記載社。

 『出雲国風土記』飯石郡須佐郷に以下の地名説話がある。
 神須佐能袁命の詔りたまひしく、「此の国は、小さな国なれども国處なり。故、我が御名は、木石に著けじ」と詔りたまひて、即て己命の御魂を鎮め置き給ひき。
 然して、即て大須佐田、小須佐田を定め給ひき。故、須佐と云ふ。即ち正倉あり。

 当社の創建年代は不詳であるが、須佐之男命が自らの御魂を鎮めたとする霊跡であり、須佐之男命の出雲における本宮として須佐大宮、出雲大宮と称し、多くの崇敬を受けてきた。
 元々東北の宮尾山麓に鎮座していたのを、天長年間(824〜833)に現在地に遷座と伝わる。

 『出雲国風土記』のスサノオは、記紀のスサノオに比べて素朴で穏やかな神格である。意宇郡安来郷では、スサノオは壁を立てめぐらし「わが御心安平けくなりぬ」といったことが、安来の地名説話となっている。大原郡佐世郷では、佐世(ツツジ科)の葉を髪にさし、この地で踊った際、木の葉が落ちたとある。同郡御室山では、神の御座所を作り、宿ったとある。スサノオ神の御子神の伝承も七柱の神々が出雲の殆どの郡で語られており、スサノオ神への信仰はかなり広いものであったようだ。

 紀伊国在田郡には名神大社の須佐神社が鎮座、他にも古社として備後国深津郡に須佐能袁能神社、三代実録に播磨国無位素盞嗚神に従五位下を授くとある(広峯神社のことか)、同じく隠岐国海士郡の健須佐雄神に従五位下を授くとあるように出雲にとどまらず広く崇拝されていた。特に紀伊国の須佐神社は出雲国より格が高く、紀伊国をスサノオの原郷と見る方もいる。


幣殿


本殿


本殿

お姿
 一畑バスの終点にタクシー会社があるが、運転手は一人、到着した時はスクールバスを運転しており、暫く待ってから相乗りで神社へ行く。30分後に迎えに来て帰りのバス(2時間に一本)に間に合うように乗る。
 鎮座地は小さい盆地のような所である。スサノオ神が静まるには実に落ち着いた静かな村。世間の雑音も聞こえてこないようだ。吉備から出雲へのルートにあるようで、吉備の者たちには知られていたのかも知れない。それが『備後国風土記』逸文にある蘇民将来の速須佐雄の神として記載されたのかも知れない。ここになると疫神の要素がはいる。

 神社の西に接して素鵞川が流れている。素鵞はスガと読まれる。出雲大社の本殿後に素鵞神社が鎮座、スガ、スサは同義のようだ。蘇我氏との関連は如何。


塩の井

 須佐の七不思議と云うものがある。その内の塩ノ井は境内に残っている。スサノオ命自ら潮を汲み此の地を清め給うたという。日本海に連動して満潮の時は付近の地面に潮の花をふくという。


お祭り
 4月 18〜19日  例祭


素鵞川

参考 『神国島根』、『式内社調査報告』

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