天乃神社・天農神社
大阪府守口市橋波東之町2-88 ゼンリン

鳥居

交通案内
京阪西三荘 南400m


祭神
菅原道眞、素戔嗚尊、譽田別尊

摂社 市杵島神社「市杵嶋姫神」、稲荷社「猿田彦命、權大夫大神、八助大神」、祖霊社「天之宇受賣命、楠正行、竹内門主良尚親王、牧野越中守、氏子の祖靈」

由緒 『平成祭りCD』
  当神社の創建年月は不詳であるが、奈良朝時代、橋波集落が開発された頃、創建されたものと思惟され、少なくとも鎌倉時代既に信仰を集めていた。
 四條畷の戦いは正平二年(西暦一三四七年)十一月、楠木正成の子、楠木正行が山名時氏、細川顕氏等を住吉、天王寺に破り、翌三年一月、門真に一番・二番・三番・四番、守口に五番・六番・七番・八番・十番の陣を築き、旧地名東橋波の当天乃神社を本陣とした。そのため、文字通り守口を布陣の尖兵としての善戦も空しく、社頭兵火を被りその折りの、後村上天皇の御宇正平の乱で当神社の御社殿等が焼失された。
 霊元天皇の御宇寛文十年(一六七O年)北野寺務二品親王良尚(竹内門主良尚親王)領主より菅原道真公の木像を下賜され、あわせて素盞嗚尊、誉田別尊を御鎮座せられる。現在に残る御本殿(御社殿内部の建物)は少なくともこの時か、それ以前に再建せられたもので桃山時代の遺構を含む史上重要な建築である。
 東山天皇の御宇貞享四年丁卯(一六八七年)八月朔日牧野越中守より御祭神市杵島姫神を下賜せられ、当天乃神社に合祀せらる。この御祭神はその後、中御門天皇の御宇正徳二年壬辰(一七一二年)八月、故あって攝社厳島神社(現在橋波西之町鎮座、市杵島神社)として遷座せられる。
 当天乃神社は明治五年村社に列し、大正四年八月神饌幣帛料供進社に指定せらる。昭和二十七年宗教法人法に基づき宗教法人「天乃神社」として設立され現在に至る。
 なお、昭和五十一年五月三日御社殿竣功なり正遷宮並びに諸祭儀斎行され、その後も引き続き神社改善諸事業が執り行われ隆盛発展の途にあります。
 天神様を主祭神とする三柱なる御祭神を奉祀し、攝社を兼備奉祀する当神社は、明治、大正、昭和、さらに平成を通じ、その御霊験の御顕現は近郊をはじめ、広く人々の崇敬を仰ぐものである。

拝殿



お姿
南向きに鎮座。鳥居の横に市杵島神社が鎮座している。 木々は少ない。桜、楠、杉がほそぼそと見える。
 北側に南詢寺の大きい本堂が見える。

 本殿の内部に安置されている旧本殿は、杮葺きの一間社春日造で向拝に蟇股二箇を並べた類例のない形式を持つなど桃山ないし江戸初期の特長がよく示されている。

本殿 南詢寺から

旧本殿の説明板



お祭り
10月 第二日曜日  例祭

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