飛鳥戸神社
大阪府羽曳野市飛鳥1023番地 
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遠く離れた鳥居

交通案内
近鉄南大阪線上の太子駅 北500m


祭神
牛頭天皇
本来は百済の伎王を祭神としていた。



拝殿




由緒


『日本の神々3』によると、延喜式神名帳の河内国安宿郡の名神大社。当地は古墳時代に飛鳥戸と呼ばれた。これは『日本書紀』雄略紀に、軍君(こにきし)が当地に土着したのを初見。百済国末多王の後なり」とも見える。

『姓氏録』には、河内国諸蛮に「飛鳥戸造、百済国比有王の男、伎王より出づる。また、「百済国末多王の後なり」とも見える。
東山美都夫著『白村江』に百済王家系図がある、これによると昆支は文周王(475年即位)の兄弟であり、文周王の子の三斤王の死後は、昆支の子の東城王さらに日本生まれの武寧王と王朝は続いている。百済王家と天皇家は相当に深い関係にあったようで、当飛鳥の地の北側に譽田の地があり、要害の地に見える。

 

 平成祭礼データから

当神社は延喜式内の古社にして古来飛鳥の産土の神として鎮座し、天王宮と稱せられて来ました。創建の年代は詳ではありませんが奈良朝以前に飛鳥戸氏が祖神KO伎王を祀るのに始められた説がありますが、明治時代の神社制度ご制定に当たり祭神は素盞嗚命を祀られました。三代実録(清和天皇貞觀元年八月十五日河内国無位飛鳥戸の神を官社に格せられ、更に陽成天皇元慶四年八月二十九日飛鳥戸神社に神領田壱町を賜りて春秋の祭礼の費用に充てらるる伝々)とあります。明治初年村社に列せられましたが明治四十一年四月二十日宮座の強要に依って壷井八幡宮に合併せられました。昭和二十七年再び分祀宗教法人法に依り法人として独立しました。
以上
(注)文中のKOは、「王」編に「昆」です。



お姿
 この地域は丘陵地でブドウの栽培が盛んである。 ワインも作られているのか、匂ってくる。
神社はフドウ畑の一角に鎮座、狭い社域であるが、鳥居は南300m程の場所にあり、かっての規模を思わせる。



本殿



社域



お祭り


例祭  10月17日



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