萩原神社 
大阪府堺市東区日置荘原寺町75−1 itu-mo

鳥居

交通案内
南海高野線萩原天神駅 西すぐ


祭神
菅原道眞
 配祀 天穗日命
 合祀 天櫛玉命、稻倉魂命、譽田別命、市杵嶋姫命、素戔嗚命、天子八根命

由緒
 『河内志』原寺坐神祠と表されて、「原寺村。今称天神。」と記されている。
 『大阪府全志』に、本地は古来丹南郡に属し、もと日置荘の内にして原寺村と称す。寛文・延寶の頃本地の内を割きて河中新田を置けり。村名は往時大聖寺あり、俗に原寺と呼びしより、此の名を為せりといふ。
 萩原神社は西方字萩原にあり、天穂日命菅原大神を祀れり。創建の年月は詳ならず。
 明治五年村社に列し、同四十年一月神餞幣帛料供進社に指定せられ、『大阪府全志』からは以上。以降、近隣の多くの神社を合祀している。一部は摂社として境内に祀られている。

拝殿

お姿

 当社の公式HPに氏子さんがドローンで境内を上から写した動画があり、大きい社叢が一望できる。
 境内は良く整えられており、摂社などにも丁寧に名前と祭神が判るようになっている。宮司さんの人柄がにじみ出ている。

社叢

本殿



お祭り


 10月12日  例大祭

恵比須神社      稲倉魂神社
 


江戸初期の旧本殿      塞の神
 

平成祭礼データ

萩原神社 沿革
 創建年代は不詳なれど、社記によれば「天徳三年、勅宣により菅原道真公を境内末社に祀る。戦国期に度々戦火にあい、後造営して菅原大神を相殿に祀る」とあり境内から出土する古墳時代の無数の須恵器破片及び、時代が下がるが古瓦等から推察すれば、千二百年以上昔にさかのぼられる。特に軒丸瓦、軒平瓦の出土品は平安後期の遺物であるので、伝記の如く十二世紀頃は六院(坊)の塔頭を在し山号を有した「萩原寺」が神仏の聖地としての信仰集めていたことを窺うことができる。

 南北朝の正平年間兵火にあい(幾度かの火災にあったことは本殿南東部の夥しい焼土、焼瓦埋没の跡が顕著である)その後、妙覚寺、観音院、正福寺、釋伽院、地蔵院を近在の村に遷したが、河内誌等に記される大聖寺が「萩原山」の法灯を受継ぎ古来より祀られていた出雲氏神の祖神である天穂日命と菅原道真公を祀った神宮寺として崇敬されてきた。

 現在の本殿は、学術調査により桃山様式を残した江戸初期の建造物と推定されたが正面の蛙股に、天満宮の牛が透彫されており、又境内の灯篭にも「萩原山天満宮」と刻まれているところから天神信仰の普及と、其の深さが知られ、又和泉国であった「土師村新家氏子中」が弘化年間に「日置庄大宮」と刻んだ石灯篭一対を献納しているなど、江戸時代より広大な氏子区域を領したことが知られる。元禄十四年の寺社御改帳に「社大宮作、柿葺(こけらぶき)、境内南北九十九間、東西四十四間、馬場の長さ百四十間、幅二間、除地」となっている。又享保年間の河内誌に「原寺坐神祠、今称天神」と記されている。尚明治末期の神社合祀令により近在の神社十一社を合祀し、いわゆる「総社」として氏子並に崇敬者に信仰されている。
  以上


萩原神社公式

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