寝屋川市秦町神楽田720 its-mo 交通案内
由緒 字太秦に鎮座する。西の方の近くに熱田神社のお旅所、もう少し行くと川勝山太秦寺がある。 寝屋川の上流では秦と太秦の住民同士で水争いがあったそうである。 太秦では綿の栽培が行われており、豊作祈願のために餅花を作った。柳の枝に餅を付けたもので、当然先になるほど小さい餅を付けた。 御旅所は何故か大神宮と呼ばれている。 秦川勝の墓であるときいていたがそのような説明はここには記されていなかった。 太秦寺を尋ねていったが留守で、丁度前を通りかかった方に秦川勝の墓のことをお伺いしたら、川向こうで、橋を渡り云々と教えて頂いた。
お姿 小さい丘の西側に鎮座している。鳥居をくぐり、左に曲がると社殿が鎮座、あまり大きくはない。 本殿の左側に摂社であろうが稲荷神社と天忍穂耳命神社が鎮座している。 なぜ、天忍穂耳命神社なのだろう。どうもこの神は天孫であるが、一筋縄ではいかなそうな不思議な神に思える。 秦川勝の墓 五輪塔は秀吉により淀川の文禄堤に使用されたので慶安五年(1649年)子孫により改めて作られたもの 秦川勝のことは 北河内古代人物誌 などを参照して下さい。 秦川勝を祭神とする神社は赤穂市や佐用郡の大避神社などに12社を数えます。 赤穂市で大化三年(647年)八十余歳でなくなったとある。
|