二ノ宮神社 にのみや
大阪府枚方市船橋本町1-707 its-mo

鳥居

交通案内
京阪楠葉駅 南東1.5km


祭神
建速須佐之男命、櫛名田姫命
配祀 大己貴命
摂社 稲荷神社




由緒
 『大阪府神社史資料』によれば、仁徳天皇二十九年の春の勧請と伝わる。
 用明天皇は当国を堅め給いし矛を納めて郷の巨鎮と為した。
 桓武天皇と文徳天皇はそれぞれ奉幣祭祀を行った。
 織田信長は深く当社を尊崇したが、豊臣秀吉により社地は没収、その子秀頼は本殿などを造営し、大坂城の鬼門除けの社とした。
 「社前掲示板:によれば、当地付近には弥生時代遺跡の船橋遺跡があり、また敷地内からは古代の瓦が出土しており、寺院があったようだ。

本殿 一間社流造


お姿
 2000坪を越す社叢は枚方市の保存樹林に指定され、緑地として保護されている。 しかし「桧、杉、松の巨木鬱蒼」と形容されたいた面影がなく、穏やかな樹林がよく手入れされている。 鳥の声がよく聞こえる素晴らしい森である。

 平成祭礼データから

二ノ宮神社御由緒


當社は枚方市の北部船橋本町(旧大字船橋)北方村里に接し、杉、桧、樟、榊等の樹林の中の社域に鎮座す。御祭神は健速須佐之男命、稲田姫命、大己貴命三柱の神にして社記傳ふる所に依れば仁徳天皇二十九年春の勧請にして、用明天皇は當国を堅め給ひし矛を納めて郷の巨鎮と為し、桓武天皇は延暦十六年十一月、大納言藤原継縄を遣はして奉幣祭祀せしめ、文徳天皇は斉衡三年十一月復た大納言藤原良相を遣はして奉幣祭祀せしめ給ひしといふ。
二宮牛頭天王と號し、天正年中、織田信長は深く当社を尊崇し、社殿に修繕を加え、采地を寄せたりしも、豊臣秀吉に至りて没収せられたるを、慶長八年、豊臣秀頼は片桐東市正且元に命じて、本殿及び攝社、御旅所、別堂を造営せしめ、且神苑を附し大阪城鬼門除の社と為して崇敬せり。
同時に従来牛頭天王と稱したりしを、改めて二宮神社と稱するに至れり。當時の棟札今も尚存す。明治維新後、境内にありし別堂即ち地蔵堂をば浄土寺に移し、明治五年、村社に列せられたる後、同四十一年、神饌幣帛料供進社に指定せられたり。
本殿建築は一間社流れ造檜皮葺きの優雅なる建築物にして、一ノ宮(牧野片埜神社)の建築に次ぎて推賞すべき本群有数のものなり。
例祭は往時より菊月九日なりしも、今は改められて十月十五日に行はれる。
以上



お祭り
例祭  10月15日


参考資料
『大阪府神社史資料』、『平成祭データ』

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