加茂健豆美命神社
枚方市走谷1-17-2 its-mo


交通案内
京阪光善寺駅 線路沿いに北へ600m右折200m三洋の手前



祭神
 加茂健豆美命

鳥居




由緒
 創建の年月は不詳。寛永六年(1629)に再興。下鴨神社からの勧請社のようだ。

拝殿   本殿の覆殿
 




お姿
  境内を見下ろすように某企業の大きい建物が建っている。昔の城主であれば、恐れ入って、より高い場所にお遷り頂いたであろう。
 鳥居をくぐると、右手に社務所、正面に社殿。左手に摂社の御手洗神社、往古は御手洗川で禊ぎをしてから参詣したのだろう。


お祭り

 10月15日 例祭

由緒 平成祭礼データから

  村社「加茂健豆美命神社」由緒略記

 当社は、人皇五十代桓武天皇の御代、勅命により和気清磨呂公、この地を河内の一の宮として、「賀茂の大神」を斎き祭れるがその始めなりという。
 古き史を繙けば、祭神「賀茂の大神」は、神武天皇、国を建つるにあたり、畿内の豪族として大功をたて、山城の国を賜るや、民生の安定に貢献、ために「賀茂御祖の大神」として奉祭さる。今の京都「下鴨神社」これなり。
 御分霊を当地に迎えるにあたり、賀茂の社家の人々多く移り住み、堂山に三千坪の神域を開き、その中腹に広壮な社殿を造営せり。丘の下を走井といい、今の走谷これなり。近くに清冽な御手洗川あり。社参の人々この川にて禊し、敬神の誠を捧げしという。
 しかるに約六百七十余年を経て応仁の乱起こり、惜しくも兵火にかかり一切の財宝焼失し、今に残れるものなしと言う。されども今日、走谷に宮の上・宮の下・大門前・堂前等の地名が残れるは、往時の隆盛を窺うに足るというべきか。わが「加茂神社」は、これより百六十余年を経て、寛永六年に「産土神」として再建され、氏子の年長者が「一老」と言いて神主となり、氏人が祭員となりて春秋の祭典を執行せり。明治五年「蹉陀神社」に合祀、同十二年、現在地に復社し今日に至る。明治三十九年、加茂の森の浄財をもって拝殿を、昭和三十九年、社務所を新築、昭和四十九年、本殿を改築せり。境内に「御手洗・琴平」の小祀あり。
 神と人相和し、神霊に仕えるはわが民族の卓越せる資質にして、わが走谷も千百余年にわたりて、「賀茂の大神」を奉祭す。
  以上


『大阪府神社史料』、『平成祭礼データ』

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