獅子窟寺、星之宮、星御前
交野市
獅子窟寺 私市2387番地

星の森之宮 星田7丁目
光林寺星御前 星田1丁目

獅子窟寺

獅子窟寺への交通案内
河内磐船駅(河内森駅) 南西へ1.5km登る。


獅子窟寺とその周辺 境内説明板
 この寺は普見山獅子窟寺といい真言宗高野山に属する。開基は役小角と伝えられ本尊薬師如来は弘仁期の榧材の一木造りで国宝である。
 聖武天皇の勅願を受けた僧行基(688−749)が堂塔を建て金剛般若窟といった。その後に空海もこの山で修行した。
 亀山上皇()はこの薬師仏に病気平癒を祈られ全快された喜びに荒廃していた寺を立派に再建された。嘉元三年(1305)上皇崩御の時、その徳をしのんで王の墓が建てられた。
 元和元年(1615)兵火のために全山十二院が焼失し中興光影和尚によって再建されたが以前の十分の一にもおよばなかった。現在の寺はその当時のものである。
 百重腹の地名が示す地形の優秀さと国宝薬師仏がこの寺のよさを教えている。

獅子窟寺の磐座

八丁三所
 嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)の頃、空海が、獅子窟寺の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)がこの地の南西方面に降り、等距離の三ヶ所に分れたと言われている。八丁三所と云う。八丁は900m。

星田妙見宮(小松神社) 星田神社参照

星の森の宮

光林寺星御前 の三所である。

星の森之宮由緒 境内説明板


 伝説によると星ノ森は人皇五十二代嵯峨天皇の御代弘仁年間西紀810年の頃高僧弘法大師が普見山獅子窟寺の岩屋にて仏眼尊の秘法を修し玉へる時七曜星がこの森と妙見山と光林寺の三箇所に降るを見給ひ後大師は妙見山に七曜星を祀られ北辰妙現代菩薩と崇め妙見山竜降院と称し給ひ天下泰平国家擁護の霊場と敬われたと伝へられる。
 この森も妙見山、光林寺と同じ七曜星を祀る霊場なれど爾来1200年余の永き年月を伝説のまま放置され今日に至りたるを今度聖地を整備し後世に永く保存致す事となれり
 聖地の中央に石塚を築き御神体として崇めし五箇の石の内小さい石四箇を塚の中の納め大きい石を石塚の上に神の磐座として据置き奉り森の四方に玉垣を巡らし参道をコンクリートにて造り固めたり
 名称を星の森之宮と称へ奉る。


光林寺星御前


 星降山光林寺といい、浄土宗西山派の寺院である。境内に神祠が設けられ、星御前と刻まれている石を前に磐座が祀られている。


左側の鳥居が星御前の神祠。



 何故、七曜星が落ちて、三角形になったのだろうか。星の森之宮に五箇落ちたような表見になっている。 つじつまを合わせているが北斗七星からは正三角形の星の分布は想像しにくい。冬の夜の大三角のようなイメージを地上に描いたのだろうが、 三角には織姫を象徴するものがあるようだし、まだまだ謎が多いようだ。

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