生野の牛頭天王
大阪市生野区の平野川西側

猪飼野の郷土史家の足代さんが川を挟んでかたや天神さん、かたや天王さんの神社が鎮座しているとの指摘をされていた。

生野八坂神社
大阪市生野区生野東4-7-11

交通案内
大阪環状線寺田町駅 東 1.5m its-mo



祭神
速素盞嗚尊

摂社 大楠稲荷神社、三寶荒神、歓喜社「諾冉二神」

由緒
 元禄二年(1689年)勧請。
 『大阪府神社史資料』によれば、昔、蛙岩ありと言う。後に奈良の元興寺極楽坊に遷されたと言う。 踊る巫女の世界南都 元興寺に蛙石が掲載されています。

大楠稲荷神社


『平成祭礼データの由緒』
当社は東成郡誌第三編、生野村第四神社の項によれば「素盞嗚尊神社、大字林寺字林に鎮座せり、祭神素盞嗚尊、元禄二年の勧請なり、社格村社、境内地百参拾坪、民有地第二種に属す。」とあり、境内の鳥居には「文化五戌辰年九月吉日当村氏子若中」 とあり、狗犬の台座には「天保十五年」の金石文を有し、遠く生野村の昔より素盞嗚尊を奉斉し、土地台帳にも「村社地」として境内八畝三歩が登載せられ、所謂「生野の祇園様」として創祀されたのであるが、一旦滄桑の変に遭遇し、明治四十一年八月、天王寺区の河堀稲生神社に委託され、境内地も「河堀稲生神社御旅所」となったのであるが、大東亜戦争の戦禍以後荒廃殊に甚だしく、日本民俗伝統の美風たる敬神崇祖、報本反始の良俗破壊を恐れたる氏子有志は幾度か復興御造営の儀を重ね全氏子の連判をも得て天王寺区の河堀稲生神社と交渉の結果遂に円満なる協議成立して「生野八坂神社」の復興御造営が完成されたのである。
以上

お姿
 大楠稲荷神社の楠木は樹齢300年程度と思われる。創建時に植えられたものであろうか。
 歓喜社の社殿の中の木の巨根は一体何だろう。

歓喜社



お祭り
 10月15日 、10月16日 例大祭



生野神社


大阪市生野区舎利寺1-2-27

交通案内
大阪環状線寺田町駅 北東 2km its-mo



祭神
素盞嗚命、大國主命

由緒
 天平時代の創建と言う。奈良時代である。
 

生野神社

『平成祭礼データの由緒』
当社は天平七亥年九月八日の勧請にして、元は八阪神社と称せられたが、明治五年、村社に列し、明治四十二年に社号を素盞嗚尊神社と改称し、同四十四年五月、会計適用の指定を受け、大正十五年十月十七日、神饌幣帛料供進の指定を受けた。
昭和二十二年四月一日付にて生野神社と社号を改称す。
以上

お姿
 創建が奈良時代との雰囲気はあまり感じない神社。



お祭り
 10月15日 例祭


彌栄神社


大阪市生野区桃谷2丁目16番22号

交通案内
大阪環状線桃谷駅 東 1km its-mo



祭神
素盞嗚命、仁徳天皇

摂社
白玉稲荷神社、櫛名田毘売神社、福徳大明神

由緒
 文禄年間(16世紀末)に旧出雲国意宇郡の熊野大社から勧請したと社の旧記にあり、創建当時は牛頭天王社と呼ばれた。 社殿は大社造で、熊野大社を測量しての縮尺版だそうだ。昭和十一年。
 彌栄神社は地元民はヤエと呼ぶようになったのでそのようにしているとか。

 当地より南に御館神社が鎮座、「いばらの神」と呼ばれていたと言う。 『浪華百事談』でのれば、仁徳天皇の高津宮の際の御弓場の址で、その時の南大門の外にあたる場所に鎮座、仁徳天皇を祭神としていたのを、大正二年に合祀した。
 

彌栄神社

御館神社跡 大阪市生野区勝山北4-5-20 mapfan

お姿
 社殿はなかなかのもの。また稲荷神社も立派。



お祭り
 10月15日、16日 秋祭


『神社の栞』『大阪府神社史資料』

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