許麻神社
八尾市久宝寺5-4-8 mapfan

東の鳥居

交通案内
JR久宝寺駅 北へ300m


祭神
素盞嗚命 配祀 高麗王靈神、牛頭天王、許麻大神

拝殿


由緒
 渋川郡の式内小社。『和名抄』には若江郡、大縣郡に巨麻郷の名が見えるように、河内湖の干上がった当地付近は渡来系の者が多く住み着いたようだ。祖神を祀ったのが、後に神社となったのだろう。
 河内国諸蕃大狛連の居住地だったと云う。

昭和四十六年再建の本殿

お姿
 境内の手洗いの屋形は神宮寺の久宝寺観音院の鐘楼の名残だそうだが、何故か青いシートで覆われていた。拝殿は木造であるが、火災後再建の本堂はコンクリート製。
 厳島神社のお姿が優雅。

 久宝寺観音院は聖徳太子自作の十一面観音を本尊とする太子建立の寺と伝えられるが、明治の神仏分離により廃寺となった。梵鐘は有名なものであって、寛政年間の本地のミナミ町の火災時の警音は遠く大和の高田まで達したと云う。明治維新後行方不明となった。明治三十七年の日露戦争の際、捕虜となった清水重吉なるもの、モスクワに送られての外出の際、ニコライの寺院に渋川郡久芳寶寺村と刻印のある大鐘を目撃している。

摂社の厳島神社


お祭り
 10月16日 秋の例祭

『平成祭礼データ』

本神社の創立年月は不祥でありますが、藤原忠平が、醍醐天皇より朱雀天皇に至る三十年の間に勅を奉じて撰した「延喜式」(今より約一千五十年前)の中の神名帳に記されている「式内社」で小社に列せられております。河内国神名帳には、神位を従四位とあり、明治五年、神社制度発布の際、郷社に列せられるとともに、旧渋川郡第一大区第一小区一二番組、即ち、大蓮、金岡、衣褶、柏田、蛇草、横沼、吉松、三の瀬、長堂、太平寺、岸田堂、大池等の各村奉仕神社氏子より、本神社を親宮と称し、毎年米麦両度の初穂を供進されました。
 以上


『日本の神々3』『式内社調査報告』『平成祭礼データ』

神奈備神社一覧大阪

神奈備にようこそ