八坂神社
寝屋川市八坂町11-13 mapfan

鳥居

交通案内
京阪 寝屋川市駅 北東250m


祭神
素盞嗚尊、住吉大神


由緒
  当社の創立年代は醍醐天皇の延長元年(923)、また皇極天皇二年(643)とされる。 播磨国の広峰神社から神霊を勧請したと伝わる。

 一説に、仁徳天皇の時代に茨田の堤が築かれ、ここに河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り南流した水は此の地に滞留し広大なる池となっていた。人呼んで茨田の池という。 皇極天皇二年七月、池の水が腐敗し、口黒く身白き小虫がわき、池を覆い、翌八月に入ってその虫が死に、死骸は水面十糎から十五糎の厚さなりしと云う。その為池の水藍汁の如く変じ魚類死滅、悪疫発生し住民死亡する者多く、ここに於いて里人困窮し播州広峰神社に疫病平癒の祈願を行う。霊験著しく、日成らずして終息する。従って住民が小祠を建て、素盞嗚尊を祀ったという。

社殿

お姿
高さ15m、周囲7m、樹齢650年〜千年とされる楠木がある。当地は往時楠の森と呼ばれる神厳の地であり、楠の木は神社と氏子を見守ってきた。

楠の木


お祭り
 10月15日 例祭

『平成祭礼データ』

当社創建年代は詳らかでないが、伝承によれば第三十五代皇極天皇二年(西暦六四三年の頃とつたえられる。
 平成元年より逆算すること、一千三百四十六年なり、昔、第十六代仁徳天皇、浪速高津之宮におわせし頃、茨田の堤を築かれたため、ここに河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り南流したる水は此の地に滞留し広大なる池となり、人呼んで茨田の池という。
 皇極天皇二年七月、池の水腐敗し口黒く身白き小虫わきて、池を覆い、翌八月に入ってその虫死して死骸は水面十糎から十五糎の厚さなりしと云う。その為池の水藍汁の如く変じ魚類死滅、悪疫発生し住民死亡する者多し、ここに於いて里人困窮し播州広峰神社に疫病平癒の祈願を行う。霊験著しく、日成らずして終息す。人々これを忘れざるため、神恩報謝の心を以て其年、広峰神社の分霊を播州より勧請し池の辺りに小社を建立し、これを祇園社と称え里の守神として斎き奉る。

 その後爾来年月を重ね池の水渇き芦原となりしを以て開墾し数十町歩の農地を生ず処々に五穀豊穣を祈願し、豊受姫命・住吉大神を合祀し相殿斎き奉る。当祇園社は代々茨田の池の茅を以て屋根を葺き、二十年毎に葺代えて来しが万延元年正月(西暦一八六〇年)、平成元年より逆算すること百二十九年前、時の代官多羅尾民部殿に願い出て永世不朽の瓦葺入母屋造りとなせり。現在の社殿是れなり。
 以上


『平成祭礼データ』

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