大穴持神社
鹿児島県霧島市国分広瀬3-1098(国分市) mapfan

鳥居と拝殿

交通案内
日豊線隼人駅南東4km



祭神
大己貴命 配祀 少彦名命、大歳神 合祀 霧嶋大神

本殿

由緒
 『続日本紀』淳仁天皇天平宝字八年(764)に、「十二月、西の方で声が聞こえた。雷の音に似ているようで雷ではない。その時、大隅国と薩摩国との堺にあって煙のような雲が空を覆って暗くなり、雷光がたびたび走った。七日後に空は晴れたが、鹿児島の信爾村(しなに:姶良郡隼人町の地と推定される)の海に、砂や石が自然に集まって何かを造っている状態のようであり、その島の地形が相連なっている様子を見ると、四阿の屋根に似ていた。島ができた時、埋没した民家は六十二区域で、人間は八十人あまりであった。」とある。
 『続日本紀』光仁天皇宝亀九年(778)に、「去る天平神護年中に、大隅国の海中に神が島を造った。その名を大穴持神という。ここに至って官社とした。

 神社の創建譚がこれほどはっきりしているのも珍しい。神社は初めは神造新島のうちの宮州に鎮座と言う。宮州は早々に水面下に没したようだ。その段階で、現在地に遷座したと言う。神造島は南東3KMの小島、沖小島、弁天島である。

 『神社仏閣帳』には、奥州津軽山から西国の守護神として当地に来たとある。

石灯籠

お姿
 往古は神社のすぐ南側は海岸であったが、現在埋め立てがすすみ、いささか離れているようだ。小村新田といい、弘化二年(1845)干拓工事を起工し、六年の歳月で百二十ヘクタールの新田が開発された。

 本殿は流造、間口三間三尺、奥行二間四尺。

 祭神と蛇と麻芋との因縁の物語がある。
 あるとき大穴持神が牝馬に乗って領内を見回っていると、突然牡牛があらわれ襲ってきた。おどろいた牝馬は道ばたの麻芋畠に逃げ込んだ。そのショックで大穴持は落馬した。その途端、大穴持の足は蝮にかまれていた。
 この故事で何故か蝮除けの神様として崇敬されている。オナンジサァとの愛称で呼ばれる。

小村新田



お祭り
 9月 29日  例祭

神奈備神社一覧九州

神奈備にようこそ