住吉神社
対馬市美津島町鶏知字甲1281番地 its-mo

一の鳥居  二の鳥居
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交通案内
  対馬空港より鶏知まではバス 鶏知から150m



祭神
 彦波瀲武鵜鵜草葺不合命 配祀 豊玉姫命、玉依姫命
摂社 和多都美神社

社殿 向かって右は摂社の和多都美神社

由緒
 式内社の住吉神社とされる。鴨居瀬の住吉神を遷すとある。延喜時代(901年以前)の勧請と云うことだろう。
 康永元年(1342)、太宰府の命令により、放生会神事を再興している。神功皇后が新羅から帰還の折りに鶏知の行宮に入り、和多都美神社を造営したが、当社はその神社であるが、白江山の住吉神社が合祭されたと、阿比留家に伝わる中世文書にある。住吉=和多都美+八幡ということか。

 筒には星の意味があるのは金星を夕つつと呼ぶことからも明かで、星こそ航海の重要な目印であり、海の守り神として相応しい。オリオン座の三ツ星の神格化が三筒男と思われる。住吉大神は『日本書紀』(神功皇后紀)で、住吉三神を形容して、海草のように若々しく生命に満ちている神と称えているが、まさに少童神であり、不合尊である。

 神功皇后が黒瀬の城山に登り四方を眺望した時、東方から鶏の鳴き声が聞こえたので、村のあることを知り、当地に宮を造営した。
 在庁官人の阿比留氏の居館とされる跡がある。神主家。弘仁年間(810〜824)対馬に来寇した刀伊賊を討つたっめ、上総国畔蒜郡に配流されていた比伊別当国津の子ららが勅命を受けて来島、その軍功で掾官となり対馬にとどまって阿比留氏と称した。遠祖を蘇我満智とする。

本殿

お姿
 浅海と云う深い入り江の奧に鎮座。津々浦々の津々を筒と表現し、入り江の奧を底筒男、入り江の入り口を表筒男、その中間を中筒男と云うのが真弓常忠氏の住吉三神についての説である。対馬の港を見れば、納得できる説ではあるが、やはり筒は星だと重う。
 この地は東南に高浜、北西に樽ヶ浜と両面に船着き場を持っている。南北に市糴する絶好の地。
 樽ヶ浜の入り江の周辺には弥生時代の遺跡や古墳が多い。また高浜にも弥生時代の石棺群や銅矛が出ている。根曽古古墳群がある。両方の浜を分ける尾根が白江山で、その南側に鎮座。その南方に4世紀末の前方後円墳がある。前方後円墳があるのは鶏知だけである。古墳時代前期から後期にまで続く遺跡である。有力な勢力の豪族がいたようだ。
 貞享三年(1686)の『神社誌』によれば、住吉大明神・松熊大明神・鉾之神・山形・乙宮が鎮座していたようだ。天明期(1781〜)には、更に宗像・日照・寄神の鎮座が報告されている。



お祭り
9月 13日  例祭

参考 『日本の神々1』、『式内社調査報告』、『平成祭礼CD』

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