三重県松阪市六根町879 mapfan 交通案内
式内社の大国玉神社に比定されているが、定かではなさそうだ。 かっては御薗神社と称していた。神宮に若菜を奉納する地の神であった。 明治十六年に近辺の式内社などを合祀している。 式内社の大国玉神社は廃絶していたようで、江戸時代には幾つかの説が出ている。 多気郡の上楠は楠を国津の変化と見る独善的なものと『式内社調査報告6』で伴五十嗣郎氏は指摘されている。 また当社の鎮座地の六根町(ロッコンチョウ)を国魂(コッコン)の訛とする説もあるようで、いずれにしろ遠い昔の話。
参考 『式内社調査報告』、『三重県神社誌』 |