星宮社
名古屋市南区本星崎町字宮西620 mapfan


鳥居

交通

名鉄本星崎駅 北西 200m



祭神

天津甕星神
摂社 上知我麻社「伊奈突智翁命」、下知我麻社「伊奈突智翁命」


社殿

由緒

 祭神は天津甕星(あまつみかぼし)で、最後まで天孫族に従わなかった天香香背男神のこと。
 舒明天皇641年に、この地に星が降ってきたことを創建とする説がある。しかしこれは摂社の上知我麻社の事とする考えもある。 星宮社については江戸時代初期を遡る文献はないとのこと。

 鎮座地はかって熱田神宮からつながる笠寺台地の先端に当たる。東に鳴海潟、西に年魚市「あゆち」潟を分けた岬の先端と言うこと。年魚市「あゆち」が愛知に変わったそうである。

 鎮座地の南東に阿原と言う地名がある。往古は海、その後は塩田、あらに田畑の地になったのであろうが、出水に悩まされた地域のはず。そこに天津甕星神を祀る星宮が鎮座、やはり虐げられた人々の「干し、乾し」への願いが込められた神社だったのかも知れない。

 『式内社調査報告』によれば、現在、熱田の森にも鎮座している上知我麻神社、下知我麻神社の内、上知我麻神社の論社の一とされているとの事。製塩に使われた竈が多く並び、それを千竈(ちかま)と称した神社名と云う。
 知我麻神社の祭神の乎止与命は、景行天皇のとき,大和国高尾張邑からやって来て,尾張の国を造ったとされる。葛城に住む氏族であり、鴨の神だったのか。


本殿

お姿

 鎮座地は星ヶ崎の近くであり、小高い場所。
 鳥居は小さいし石橋もミニチュアのような観じ。 それでも社叢は大きく、遠目にもそこに神社があるとこが良くわかる。


お祭り
10月 7日 例祭


上知我麻社 手前



参考 『式内社調査報告』『平成CD』

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