天川命神社
滋賀県長浜市雨森1185 mapfan

銀杏の大木と鳥居


交通案内
 JR北陸本線高月駅 北東 2km


祭神
 津速産靈神、武乳速命、天相命、興登魂命、天兒屋根命、天忍雲命、天種子命、宇佐津臣命、巨狹山命、雷大臣命、天見通命、大川橋命、意富乃古連、眞人大連、大御食津臣命、伊香津臣命、梨迹臣命、神聞勝命、久志宇賀主命、大鹿嶋命、鯛身命、臣知人命、大江命、弟子臣命、御身宿禰、阿麻比古郷、賀麻大夫公、黒田大連、伊禮波連、御食子大連公、糠手子大連公、許米朝臣、藤原鎌足、垂目連、武智麿、宇合卿、巨勢麿卿、魚名卿、意美麿朝臣、安比等朝臣、長人朝臣、豐人朝臣、常磐大連公、方子大連公、國子大連公、金大連公、大嶋朝臣、久多大連公、不比等卿、房前卿、麻呂卿、眞楯卿、國定卿、東人朝臣、廣見朝臣、豐足朝臣、清麻卿
相殿に光嚴天皇と二皇子

鳥居と拝殿


由緒

 式内社の天川命神社は、余呉町文室と高月町の当社の二カ所が論社。当社は五十八社権現宮とも称していた。
 『滋賀県伊香郡誌』によると、「太古、天川命(与登魂命ノ又ノ御名)此の地に天降り、その神孫の伊香津臣命、迹臣命、荒原を開拓して人民繁殖して本村をなしたと言い、祖神が天降つた地であることから天降りの里と称した。その後雨森の文字を用いるようになったと。
 平安時代の初めに天川命ノ御祖先神及び御子孫等五十八座を併祀し、五十八座の御社と称するようになり、中臣、藤原両氏の御祖神総社として春秋の祭祀など隆盛であった。
 六波羅滅亡の時(1333)、光厳天皇と二皇子たち、坂田郡番場より逃れ、本社の神殿に難を避けられたとの由緒から、光厳天皇と二皇子を相殿に祀った。」と言う。

拝殿と本殿


お姿
 南面する鳥居の横に大きい銀杏の木がある。本殿に向かって右側には八幡神社、左側には権殿社。
 石畳の参道を行くと拝殿があり、その背後に廻塀に囲まれた一段高い場所に本殿が鎮座、一間社流造の本殿がある。
 江戸時代に対馬藩に仕え、外交官として活躍した雨森芳州の生まれた土地。


お祭り
  4月 13日  例祭

拝殿と本殿と八幡神社

参考 『式内社調査報告』 、『平成祭礼データ』

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