御霊神社
滋賀県大津市鳥居川町14-13 mapfan

鳥居


交通案内
京阪唐橋前駅 南東 300m


祭神
 弘文天皇
 摂社 稲荷社、奥宮社、八幡社、大土社、綿津見社

社殿


由緒 平成祭礼データから

 当神社は、近江神宮の御祭神でああらせられる三十八代天智天皇の御子、大友皇子(徳川光圀編集の大日本史の本紀には天智天皇の次へ「天皇大友」と列記しあり、明治三年七月、弘文天皇と諡(おくりな)され三十九代に列せらる)を、お祀りするまことに由緒ある古いお宮である。
 大友皇子は幼少の頃より文武両道に秀でられた立派な皇子で、輝かしい前途を期待されて居られましたが、天智天皇が崩御あそばすや即位の式を前にして壬申の乱(壬申年の争乱、西暦672年)が起り、瀬田川西岸の現在の当神域に隠れ、二十五才の若さで戦歿されたのである。因ってこの神域一帯を古来隠山と称した。(御霊神社口碑による。)
 敗戦後当地に土着した近江朝廷の大友皇子軍の遺臣や地元の人々は、皇子の御遺徳を敬慕し皇子の霊を慰めるため、戦後三年目の白鳳四年(675年)大友皇子の第二子、與多王の指図により大友皇子御最後の地、隠山に皇子の神霊を奉斎する大友宮または御霊宮とも呼ぶ神社を創建した。鳥居川の当神社である。
 その後、寿永三年(1184年)の木曽義仲と源範頼の戦闘、承久三年(1221年)の鳥羽上皇軍と北条時房軍の戦い、建武三年(1336年)の後醍醐天皇軍と足利尊氏軍の戦い応仁の乱など、たびたびの戦いの都度社殿および社務所並びに旧記などは兵火に罹り、元禄年間にも社殿を改築し竣工間もなく焼失しているので、古い旧記の存するものなく創建・鎮座など上代の詳細については不明であるが、徳川時代には膳所藩より神領田を賜わり藩主より拝領の御墨付きが十三通残っている。最も古いのは慶安五年(1652)九月、新しいのは安政元年(1854)で、享保九年(1724)本多康敏藩主よりの御墨付きには五霊宮とあり、延享五年(1748)以降のは総て御霊宮となっている。

本殿


お姿
 緑の濃い山麓に東面して鎮座、瀬田の唐橋を西へ渡ったすぐである。
 鳥居から境内へ入ると広い。北側に稲荷社の赤い鳥居が並ぶ。南側には大友宮と扁額のある鳥居があるが、その奥に神社らしい建物は見えない。古墳のような土盛はあるようだが、よくわからない。


お祭り
  5月 4日、5日 例祭

  『平成祭礼データ』

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