平野神社
滋賀県大津市松本1丁目8-25 ゼンリン

鳥居


交通案内
京阪石山線石場駅 南東200m


祭神
大鷦鷯皇命 合祀 猿田彦命彦

舞楽殿


由緒

 平野大明神は、第十六代仁徳天皇であります。
 天智天皇は近江志賀に大津の宮を遷都された時、都の三里以内に守護神として祭祀せられ、天智称制七年(668)鎮座され、藤原鎌足公の創建と伝えられる。
 精大明神は猿田彦命で、第三十五代皇極天皇の御代、京都西洞院滋野井に勧請ありし精大明神を御神託により、大津本宮狐谷に奉遷になり「衢」びきの神、蹴鞠の守護神として白鳳元年(642)奉遷された。御鎮座当時封戸数千戸摂社八十社あまり、四時神事怠る事なく代々の帝王時に後鳥羽天皇は深く崇敬せられ、又武将の崇敬も篤く宮殿も広大な社殿で実に壮観な神社であった。然るに応仁の兵乱で社殿等焼失し、その後天正酉年(1573)現社地に鎮座なる平野大明神の相殿に遷座し、現在に至る。
 村上天皇の天徳年中(957〜)大宮内に、蹴鞠の技芸さかんに行われ、飛鳥井・難波両家は晴れのまり会には必ず御社参されまり遊びや和歌など奉納された。境内には蹴鞠神社の社標や鞠の石灯籠などがある。
 以上、社頭掲示。

社殿


お姿
 東向きの社殿である。境内は駐車場化している。
 本殿周辺と背後には木々が多い。

本殿

お祭り
  5月  5日 例祭

本殿の屋根などと摂社

『平成祭礼データ』
由緒


 平野大明神は第十六代仁徳天皇(大鷦鷯皇命)で有ります。 第三十八代天智天皇が近江志賀の大津の宮に遷都された時、都の三里以内に守護神として祭祀され、天智称制七年戊辰(668年)に鎮座、藤原鎌足公が創建せられ、京都西洞院家の菅領の社であった。 精大明神は猿田彦命であって御神体は衣冠の座像にて国の重要文化財に指定され、第三十五代皇極天皇(642年)の御代京都西洞院滋野井に勧精ありし精大明神を御神託により、大津松本本宮狐谷に奉遷になり、衢、案内、蹴鞠の守護神として御鎮座当時封戸、数千摂社八十社有り四時神事怠る事なく、代々の帝王も又特に後鳥羽天皇(平安末期)深く崇敬せられ、鎌倉頼家公など武将の崇敬も厚く境内も方八町余りあって、宮殿も弘廣な社殿で、実に湖南の壮観なる神社であった。
 然るに応仁の兵乱(1467年)に際し社殿等焼亡しその後、天正元 酉年(1573年)現在地に鎮座なる平野大明神の相殿(あいどの)に遷座し現在に至る。
 第六十二代村上天皇、天徳年中(957年)大宮内(おおみやうち)に蹴鞠(けまり)の技芸(わざ)盛んになり蹴鞠の会には奉幣(ほうへい、神にぬさをたてまつる)が有りました。
 飛鳥井(あすかい)、難波、御両家は蹴鞠の執奏の社殿であって崇敬も厚く御両家より正月、五月、九月には御社参あり、鞠遊びを行なわれ和歌など奉納され、又黒塗り八台三脚現存し、難波左中将藤原宗尚卿御染筆の和歌に松本の明神にもうでて鞠遊びのことも念しけるについて「道まもる神のめぐみも幾よへり雨ふりそそぐ松本の宮」など、重要美術品、鞠古文書二百点余り。
以上

参考 『平成祭礼データ』

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