御上神社(みかみ)
野洲市三上838 mapfan


三上山



交通案内
JR野洲駅よりバス北山台団地行き御上神社下車

鳥居



祭神
天之御影神(天目一箇神)

 古代製鉄の神を祀る。神体山は三上山。
摂社
若宮神社 伊弉諾尊 菅原道眞 (配祀)天石戸別命 天御柞命 (主神)野槌之命
三ノ宮神社 瓊瓊杵尊
天神宮神社 天照大神
御鍵取神社 天津彦根命 猿田彦命
愛宕神社 火産靈神
竃殿神社 火産靈神

楼門



由緒
 神奈備である三上山の頂上に巨大磐座がある。奥宮となっている。
 『先代旧事本紀』によると、第七代孝霊天皇の六年に天之御影神が三上山に降臨され、それから千年は三上山を清浄な神霊が鎮まる磐境として祀って来た。
 養老二年(718)現在の鎮座地に社殿を造営し、遷祀した。
 陽成天皇の時、正一位の神開となった。
 延喜の制では名神大社となり、月次新嘗の官幣に預かった。
 『古事記』開化天皇の段に、「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神」と記載されている御上祝は野洲郡に勢力をもった「安国造」であろう。

 近くの住宅地区の野洲市小篠原に、林ノ腰古墳の敷地が公園として残っている。6世紀初め。また三上神社に銅鏡が伝わっている。百済の武寧王の墓から出土したものと同型であり、何故近江にこの銅鏡があるのかが疑問であった。林ノ腰古墳の造営年代が6世紀始めと判断されたことで、当時の近江の有力者で継体天皇の盟友でもあったろう近江毛野の古墳だろうとの判断である。毛野はまさに百済に派遣され、武寧王とも親交があったはずで、これで銅鏡の疑問は氷解したと言える。

拝殿



お姿
 三上山は東海道新幹線からもよく見える円錐型の美しい山で「近江富士」と言われている。神社は三上山の西に南を向いて鎮座している。国宝や重要文化財の楼門・拝殿・本殿が一直線に並んでおり、壮観である。
 国宝の本殿は方三間・入母屋造の建築で鎌倉時代後期の建築の様式である。
 拝殿も方三間・入母屋造で鎌倉後期のもの。
 楼門は二階建ての三間一戸で、創建は墨書きから康安五年(1365)とされている。
 神社から三上山の間に満ちなどができているが、かってはうっそうたる榧(かや)の原生林であったと伝えられている。

本殿



お祭り
 例祭 10月14日 御上神社若宮相撲神事 ずいき祭

三上山伝説


俵藤太の百足退治

 藤原鎌足の子孫にあたる田原藤太秀郷(俵藤太)は、平安時代中期に活躍した関東の武将で、弓矢の名手で猛将平将門を討った勇士と知られる。その昔藤太が瀬田の唐橋を渡ろうとすると橋上に大蛇が横たわっていたが悠々との大蛇をふんで通ったので、橋の下に住む竜神がこれを見て、「我は竜宮に住む竜神であるが、三上山を七巻半まいている百足に悩まされているから助けてくれ」と嘆願したので藤太は承知して、天孫降臨三十二神の内の武神である当神社に祈願して弓の秘訣を授かって、瀬田の橋から矢を放って一矢・二矢は射損じたが三矢は矢尻に唾を吐きかけ、祈りを込め眉間を狙うと射止めることができた。竜神は喜んで米俵・巻絹・釣鐘等の宝物を藤太に賜った。俵からはいつでも米が出続けることから「俵藤太」と呼ばれるようになった。

公式御上神社

神奈備にようこそ