滋賀県高島市安曇川町常盤木1239 mapfan
「神社明細書」によると、創立年次は不詳。応神天皇五世の孫彦主人王は高島三尾を別荘にし、ここで漁労を楽しみとしていた。別荘で崩御したので、この地に葬り、社を建てて祭祀した。振媛は垂仁天皇七世の孫で、越前国坂中井の人の娘で、彦主人王の妃であった。彦主人王の崩御後、御子の継体天皇を奉し、故郷へ帰えり、そこで亡くなった。その霊をここに合祀したと言う。 鎮座地の背後の台地には陵墓伝承地として宮内庁管轄下の王塚古墳などがある。古墳の霊に対する祭祀の思想があり、御霊神社ができ、それが三重生神社をも御霊神社と呼ぶようになったと、『式内社調査報告』には記してある。
本殿 参考 『式内社調査報告』 、『平成祭礼データ』 |